つれづれ
2018.07.29
またまたブログの更新できないでいるうちに一ヶ月経ってしまいました。西日本の土砂災害、復旧もままならないうちにまたもや台風がいつもとは違うコースで通るようなことで大変。昨日はギターの発表会でご予約いただいていたのが台風で延期に。きょうはいつも第4週にご利用のジャズボーカルのグループの主催者が先週は浦和祭り参加のため本日ご利用くださいました。

先日、三階のスタジオの階段を降りてきたら顔見知りの方とばったり。「職場がここなもので。」と何気なく言ったら「まぁ、お仕事なさっているの。いいわね。」と仕事の内容も聞かずに言われました。確かに世間では退職する年齢なわけですから、まだ仕事があって働いているというのを羨ましく思う人もいるのかもしれません。でもこのビルはダンス教室と居酒屋さんしか入っていません。足に問題を抱えている私がダンス教室で働いているとは思えないでしょうから居酒屋さんで働いていると思われたかしら?

この一ヶ月間の変化といえば、これまで通っていた越生の乗馬クラブを退会して、通えるかどうか自信ないけれど下田の乗馬クラブに行き始めたこと。(はい。あの伊豆の先端の下田です。)秩父や春日部から通われている人がいるとお聞きしたことで、私も同じ埼玉の人間として「もしかしたら私にも通えるかもしれない。」と思った次第。<馬にも人にも優しい>というセンタードライデイングという乗り方でのレッスンをしていただけるところがポイント。演奏家の方たちがワークショップで体験されることの多いアレクサンダーテクニークのようなことも含まれています。センタードライデイングの本にはアレクサンダーさんの乗馬姿の写真もありました。(あれ?これって前に書いたことあったのだったかしら?)

下田にはここのところ電車での日帰りを二回、車で一泊二日を一回、いろいろなパターンを試してみています。最初に下田乗馬クラブに行ったのは1月、爪木崎の水仙を友達と観に行った時とき寄ってみたのでした。その時には「遠いので滅多にこられないだろう。」と思ったのでした。

越生の乗馬クラブを退会したのは私が専用馬にしていたジュピターを買い取って自馬になさった人がいて、私はもう乗れなくなってしまったことも大きかったです。そう知らされての最後のレッスンで「ラスト一周」と言われて「二度とジュピターには乗れないのだ」と思ったら涙がこぼれて、お馬さんから降りてから大泣きしました。まるで失恋した気分。自馬になさった人はその後、他のクラブにお馬さんごと移籍なさったことを先日知らされました。「自分がこんなに馬が好きだった」なんて、ノホホンと育ったのでこの歳まで気がつかなかったことが迂闊だったと思います。年下の従姉妹は高校から乗馬部で障害なども飛んでいたのに‥。
ベネルクス三国より無事に帰国
2018.04.15
マリアデユオは10日からのネパールツアーを終えてそろそろ戻る頃でしょうか。私は4月4日から11日まで、オランダ、ベルギー、それにベルギーからの日帰りでルクセンブルクに出かけてきました。

10年ぐらい前にフェルメール展ということでデルフトの画家たちの展覧会が開催された時にデルフトの街を描いた絵が何枚かありました。イヤホンガイドで「今もほとんどこの景色は変わっていない。」というような解説があって「いつの日か行ってみたいなぁ。」と漠然と思っておりました。数年前にフェルメールの<真珠の耳飾りの少女>の展覧会が東京都美術館であったときにも見に行ったのでしたが、その少女の絵とマウリッツハイス王立美術館で再会(?)できて嬉しかったです。アムステルダム国立美術館ではフェルメールの絵が4点飾られていましたが、4点とも揃っていることは珍しくてラッキーとのこと。日本にも貸し出したわけですから世界各地に貸し出しているのでしょうね。


マリアデユオの先日のパーテイにキッシュと人参とレーズンのマリネを差し入れしました。それは浦和の市民会館近くのグッデイズカフェのオーナーシェフの中野さんによるもの。中野さんはアムステルダムのホテルオークラの厨房で5年お仕事をなさっていた方です。ガイドさんに「ホテルオークラってどの辺ですか?」と聞いたら「ちょっと中心からは外れています。」ということでしたが、ベルギーから戻ってくるときに「あの建物がホテルオークラです。」と教えてくださいました。


初日に訪ねたクレイユというオランダ最大のチューリップ畑はまだ開花していなくて残念でしたがお庭の綺麗な閑静な住宅街を散策したのち予定外のアムステルダムの市内観光を取り入れていただきました。翌日訪れたキューケンホフ公園では辛うじて早咲きのチューリップがクロッカスや水仙などとともに咲いているのを見ることができました。広々した温室にはまだ外では咲いていないような種類の珍しいチューリップ始めたくさん咲いているのを楽しむことができました。雨や風の日でも温室ならいつでも見られますものね。3月末から5月まで期間限定でチューリップの時期だけ開園する公園。イースターのお休みで世界各地から大勢の観光客で賑わっていました。4月中旬のトップシーズンの土日になると駐車場待ちで1時間半ぐらいかかることもあるのだそうですから、時期は早かったですけれど「良かった。」と思うことに。


海外にしょっちゅう出かけている知人が「どこに行っても大聖堂とかステンドグラスとかで感激しなくなっちゃった。」と贅沢なことを言っていました。その彼女に街でバッタリ会ったらこの時期でもダウンのコートを持って行くように言われました。初日は寒くてダウンで大正解。6度ぐらいの冬日から24度ぐらいまで気温差があってびっくり。7人のツアーで、年齢層もほぼ同じ、ゆったりした旅程でしたので帰国してからの疲れも出ずに済んでおります。
Cool !
2018.03.09
タイトルをクールにしましたが、何かクールなことが身の回りにおきたわけではありません。「頭寒足熱というのに医学的根拠はないらしい。coolという言葉の解釈の違い。」ということを皆さまにもお伝えしておきたいと思ってのテーマ。

10年ぐらい前のこと、私が以前フラメンコを習っていた先生が原因のわからない痛みに襲われて体が動かなくなってしまったのが線維筋痛症であることが判明、自然療法のM先生との出会いによって解消したということで、プラネットにM先生の書かれた本を持って訪ねてきてくださったことがありました。以来、その後にM先生の書かれた他の本も読んだりしておりました。そのM先生の講演会を友達の会社で企画したとのことで先月聞きにいってきました。

その話の中で「頭寒足熱」というのは、オールドバーというウイスキーのモデルになった長寿の人の秘訣をインタビューした中での言葉を語呂が良いように頭寒足熱と四文字熟語にしたのが発端らしいということなのでした。私が又聞きみたいに書くとニュアンスが変わってしまうかもしれませんが、「頭はクールに」みたいなことを言ったらしい。つまり上下対比させて頭は冷静だけれど下のハートははあたたかいみたいなことではなかったか?クールというのは今でこそ「カッコ良い」とか「冴えてる!」いうような意味合いでの解釈もあるけれど、当時は「クールは冷たい」と解釈されていたのでそうなったのではないか? というようなことでした。

頭が冷たい方がいいなら冬でも帽子はかぶらない方がいいわけだし、外国のドラマなどで老人がナイトキャップみたいな毛糸の帽子をかぶって寝ていたりもしますものね。M先生も「部屋が寒かったら帽子をかぶって寝ては?」というような話の中で「そういえば頭寒足熱と言いますがあれは根拠がないことですからね。」というようなことを言われたのでした。私は「ふ〜む、知らなかった。」と思ったので皆さまにもお知らせしておきたく思った次第。
断捨離とは言うけれど
2018.02.25
スタジオを始めた頃(23年前)に、当時としては思い切って購入したオーバーコート、友達に「コートは良いものを長く着た方がいいのよ、」と言われたことを懐かしく思い出します。スタジオを主宰するという自分にとっては大きな門出での記念みたいなことで買いました。長らくしまいこんでありましたが、大きな肩パッドが入っていたのをリフォームのお店で取り外して自然な形にしていただいて、数年前からまた着ています。

一時、断捨離が流行ったりもして「数年間着ない洋服類は処分する」というようなことが言われたことがありました。そのコートは10年以上着ておりませんでしたが、素材や色が気に入っていて処分できずにおりました。ダウンのコートが主流でいかにも流行遅れという気がしていたこともありましたが、また丈の長いコートを着ている人も見かけるようになりましたものね。


何しろ捨てられない性分で物が増えて仕方ないのですが、ビデオ40本ぐらいがブルーレイデイスク4枚になってダンボール一箱減りました。すべてのビデオをダビングしているわけでもありません。地上デジタルになって綺麗な映像を見ていると昔のテレビ番組を録画したの画像はあらくて「保存しておいても見返すことはないだろう。」というものも結構あります。NHKのBSの特集番組などには秀逸なものが多くて「フラメンコを極める」(だったかしら?)などはカンテ、バイレ、ギターなど超一流の人たちの迫力ある演奏で「録画しておいて良かった〜」と思ったりしました。来日した演奏家たちのステージの放送録画なども。


ダビングの作業中で、まだ気が遠くなるほどのビデオがあります。作業が終わるまでビデオ機器もちますように!
ピアソラ
2018.02.08
F.Tさん、スタジオへの4つ星の評価をどうもありがとうございます。グールルマップに地図を載せていただいているからだと思うのですが、グーグルから評価をいただいたお知らせメールが参りました。存じ上げないお名前ですので、先日の竹内氏の演奏会のお客様かしら?と考えてみたりしているところです。初めてのことでどうしたら良いものかわからないので、ブログにてお礼申し上げます。どうもありがとうございます!

昨夜、VHS<ピアソラのすべて>をダビングしました。ピアソラの来日ステージの録画と思い込んでおりましたが、ピアソラが亡くなってからの回顧番組のようなもので、細川俊之のナレーションでピアソラと共演した演奏者たちのインタビューなどの後に来日したときのステージが収録されているものでした。1988年の来日ステージということですから今からちょうど30年前になるのですね。

リベルタンゴで初めてピアソラを聴かれた人が多いのではないかと思います。この番組も「ヨーヨーマなどがピアソラを取り上げてクラシック界でタンゴがブームになっている。」というような流れから構成されたものでした。

私がピアソラを最初に聞いたのはフルートとギターの組曲<タンゴの歴史>。すごく気に入って「ギターとの二重奏でフルート吹いてみたい。難しそうだし、プロにお願いするしかないかしら?」と思ったりしておりました。その後スタジオに来られたギター奏者がプロを目指してスペイン留学もなさったことのある人で、スタジオでの内輪の演奏会でタンゴの歴史を共演したり、ギターの発表会で先生と合わせていただいたりして、「あのときの夢は実現している。」と思います。

ピアソラのお父様が亡くなったときに作られたアデイオスノニーノ。この曲を聴くと、お父様への愛情と感謝の思いに満ちているようで、私自身、(お父さん子だったので)自分の父親への思いと重なっていつも涙が溢れてきてしまいます。昨夜ピアソラ本人の演奏を聴いてまた涙‥でした。以下のyou-tubeの演奏ですとストリングスの甘くて優美なメロデイになるところで、お父様への厚い感謝の思いが溢れているように思えて‥。最近、お父様とお別れしたお友達からのメールに彼女の思いも重なってきます。父親は、かけがえのない本当に大きな存在だと思います。



以下ウィキペデイアからの引用

1959年10月、ファン・カルロス・コーペス舞踏団とともにプエルトリコ巡業中、父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が故郷で亡くなった知らせを受けた。しかし、ピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなかった。ニューヨークに戻り、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが「アディオス・ノニーノ」である。

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