あっというまに二月
2024.02.06
元旦早々に地震、翌日には羽田空港での事故、言葉を失って呆然としているうちに日が過ぎて、風邪をひいて一週間近く寝込み、病み上がりで南イタリアにでかけて、一月はあっというまに終わってしまいました。夫が風邪をひいて咳をしまくっているのに私は元気で「私の免疫力もたいしたもの」などと思っていたら、やっぱり最後にはダウンしたようなことでした。

コロナ禍では熱を出すのも紛らわしいですし気をつけておりましたので「風邪をひくのはいつ以来?」と思います。病院の発熱外来は電話予約が必要とのことでしたが何度電話しても話中。コロナやインフルエンザで発熱外来も混んでいるのですね。結局熱が下がってから医者に行ったようなことでした。(苦笑)

「もう海外に出かけることもないだろう。」とパスポートも切れたままにしておりましたが、新たに10年で申請。これまでは大宮のパスポートセンターに行っておりましたが、西川口の駅前にもあることを知ってそちらに。駅の道路挟んですぐのビルにあります。空いていて親切で良かったです。大宮駅の東西のコンコース歩いて外に出るより近いぐらい。

アリタリア航空が潰れて国営の航空会社になっていることも知りませんでした。機内で座席についたら<ニューシネマパラダイス>のBGMが流れてきて「イタリアならやっぱりこれよね。」と思いながら。私はジリオラチンクエッテイのファン、何年か前に来日した際、情報を知るのが遅れて追加で立ち見席のチケットをようやく手に入れたことをこのブログに書いたら、病床でコンサートに行けなくなって「ステージの目の前に空席を作りたくない。」ということで無償で分けてくださった方がいたことを思い出します。前から数列のど真ん中で目の前でジリオラチンクエッテイが歌う姿を感激しながら聴いて「これだけでブログを書いている価値は十分過ぎるほどあった。」と思ったことなども思い出したりしておりました。譲ってくださった方のご病気が回復していると良いのですが。

シーズンオフの観光ですが、オレンジの実をたわわにつけた果樹園がたくさん車窓から見えていたり、アーモンドの花が満開で「二週間前のツアーではまだ咲いていなかった」とのことで、それに「トップシーズンのシチリアは歩けないぐらいの混雑で子供は泣き叫んでいるし静かなこの時期の観光がおすすめ」と現地のガイドさんが言われていました。車窓からの眺めも街路樹などの葉が落ちて遠くの山々の景観なども見えて良かった気がします。

シチリアに三泊、「ローマとギリシャは同じ90キロ先」とのことで、「あちらがヨーロッパ、あちらがアフリカ大陸、あちらがアジア方面(イベリア半島を通り越してですが)とガイドさんに言われて、浦和で「ヨーロッパはあちら方面」と思ったことなど一度もなかったのでグローバルな視点はじめ、統治者が目まぐるしく変わった歴史に、侵略されたりしてこなかった日本は幸せな国だとあらためて思ったり。

シチリアのシンボルであるトリナクリアはメデユーサの本来は蛇である髪の毛が小麦、ヘラクレスに退治されたメデューサのことは耳タコぐらい聞いておりましたのに、本来は絶世の美女だったという話を初めて聞いてびっくり。女性のケンタウルスの像があるのにもびっくり。シチリアの歴史についての本を図書館から借りてきたところです。
2024.02.06 09:03 | 固定リンク | つぶやき
"イパネマの娘" 78歳で相変わらず美しいらしい
2023.07.12
私が”イパネマの娘”を最初に聴いたのは、娘時代「9500万人のポピュラーリクエスト」というラジオ番組内でのこと。人気の1位から20位ぐらいまでが紹介されていました。アストラッドジルベルトの英語バージョンだったと思います。今ではスタンダードな曲になっていますが、発表された頃にリアルタイムで聴いていたというのも嬉しい。考えてみると私たちの世代って「ムーンリバー」はじめ後世に残る名曲がたくさんありますよね。ビートルズやカーペンターズの曲の数々も。

現在、オンライン英会話を習っている先生のお一人がブラジル在住、「イパネマの娘をポルトガル語(ブラジル語)で歌おうと練習中。」という話をしたら「エロイーザを知ってる?」「それ誰?」知らなかったのですが、この歌のモデル(インスピレーションとなった)当時17歳の美少女で、先日(7月7日)お誕生日を迎えられたとのこと。思わず「今もお綺麗ですか?」と尋ねてしまいました。wikipedeiaで見たら78歳になられたみたい。ビジネスウーマンでもあって2000年代にはいって、<イパネマの娘>というブテイックを開いて歌詞入りのTシャツまで販売。「そんな権利は無い」みたいなことで訴えられたけれど勝訴、美しいだけじゃなくてたくましい!作詞したモライス氏が9回も結婚したプレイボーイであったということにも、今頃になってびっくりしたりしています。

10年ぐらい前に来日したギタリスト(誰だったか覚えていないのが情けない)の演奏会の、アンコールでイパネマの娘を演奏したら、会場がブラジル語で全員合唱みたいになったのに圧倒された記憶があります。英語の歌詞はなんとなく聞き齧っていましたが、どうしてその時に「私もオリジナルのブラジル語で歌ってみたい!」と思わなかったのか今になると不思議。今はyou-tubeで親切な発音講座のようなのもあって、出だしの「オーリャ」の「オ」は開口音で日本語の「オ」とは異なるとか、「バランサ」の「ラ」は鼻母音で暗くなるとか丁寧な解説もあります。カタカナで歌うみたいなのはこれまでもあったのでしょうけれど、ここまでの親切な解説は最近になってのことのように思います。

話戻りますが、ブラジル在住の英会話の先生はガイアナ出身。南アメリカはブラジルだけポルトガル語で他はスペイン語だと思っていたらガイアナは英語圏だということも最近知りました。

アストラッドジルベルト 最近亡くなりましたよね。今年はバートバカラック、ハリーベラフォンテも。たまたまカーラジオで聴いているときに、ハリーベラフォンテがアフリカの飢餓救済で歌われたチャリテイソングの発起人だったことを知りました。有名な歌手たちが一堂に会して収録を終えたあとに、ハリーベラフォンテを讃えるべくバナナボートの合唱があったということも。

最近流行っているような曲はほとんど聴かなくなって、懐かしい曲ばかりを聴いています。先日のスタジオでのギター発表会でアルマンドマンサネーロの曲(アケル セニョール)を二重奏に編曲したのが演奏されて、たった一枚だけアルマンドマンサネーロのLPを持っていることを思い出して聴いたりしておりました。歌声が特に好きなわけでもなかったのにどうしてこのLPを買ったのだろうか?と思いながら、歌手としてより「アドロ」の作曲者としての方が有名ですよね。アルマンドマンサネーロを知っている人も周囲にはいないと思うので、思いがけず懐かしい名前を聴いて嬉しかったです。このLPを購入した、新宿に昔あったラテン音楽専門のテリーレコードのオーナーさんお元気かしら?と思いつつ。スタジオを始めたばかりのころ、スタジオで流すBGMにとショーロを勧めてくださったりしたのが最後だったような記憶があります。
2023.07.12 08:36 | 固定リンク | つぶやき
この時期に
2020.04.04
日々、コロナウイルスの報道ばかり。台風などでしたら通過して落ち着く時期が見通せますが、いつ収束するか先が読めないというのはシンドイですね。3月に聴きに行く予定だった都響の演奏会は二つとも中止、28日の大手町ホールでの大塚直哉さんの演奏会もぎりぎりまで開催されそうな雰囲気だったのですが都知事の要請を受けてか中止になりました。ぴあで購入したチケットの払い戻しは(私は)初めてのことですが、出先の遠くのセブンイレブンで発券したら、その店じゃないと返金手続きができないみたい。「その手続きを想定していたら自宅近くにもコンビニはたくさんあるのに。」と思いました。前回のブログに書いた小原さんの演奏会は「かろうじてできたのだなぁ」と思います。

この時期、知人から教えていただいたSpotifyをbtuetoothでBOSEのスピーカーに飛ばして聴いたり、you-tubで見る可愛い動物たちの動画(関西弁でしゃべる猫が特に気に入っています。)アマゾンプレミアでみられる映画などに救われています。<翔んで埼玉>もいつもなら見ないようなタイプの映画なのですが時間がたっぷりあるので見ました。その影響もあって、埼玉が誇る<和同開珎>の聖地、秩父の聖神社と採掘跡まで先日行ってきました。脚のリハビリに行っている山梨の石和の温泉病院に行くのに雁坂峠を走ってみたことがあって、その時に道沿いに立て看板をみて「いつか来てみたい」と思っていた所。観光地というにはマイナーな所だと思うのですが、金運のパワースポットのようにもなっているらしかったです。各種お守りがたくさんあったり、絵馬も和同開珎の形をしたものがたくさん掛けてありました。聖神社にも参拝者が来ていましたし、ちょっとしたハイキングコースのようになっている山道でも思っていたより多くの人たちが来ていました。家の中での自粛で息が詰まってしまうような日々「自然の中なら」と同じようなことを考える人たちなのだろうと思います。すれ違う人たちと登山者のように「こんにちわ」と言葉を交わしながら散策。花桃が満開で綺麗で、「訪ねるならこの時期が最高ではないか。」と思いました。

話変わりますが、<恋はつづくよどこまでも>というドラマの最終回に、常盤町の知人の家が出ていると知人からお知らせが。テレビドラマはほとんど見ないのですが、この番組の前に放映されていた「G線上のあなたと私」という番組、大人になってバイオリンを習い始めた年齢も異なる3人のドラマが<大人になって趣味でフルートを吹いている私たちが共感を感じる楽しい番組>とフルートのお仲間からの紹介で録画予約して見ていた続きで録画してありました。常盤町のそのお宅は幹線道路には面していないのによく探し当てたと思ったことです。チラッと邸宅の玄関までのアプローチが映っただけなので、あらかじめ聞いていなかったらそのお宅だとはわからなかったかもしれません。こういうロケの舞台は都内の高級住宅地と思っていたので、地元の浦和の邸宅が思いがけず映ったことが嬉しい気がしました。
2020.04.04 17:11 | 固定リンク | つぶやき
フルートと私 その2
2018.01.20
<フルートと私 その1>を書いたのがいつ頃だったかしら?と探してみたら2016年の9月のことでした。高校2年、受験勉強が始まろうかという頃に仙台でフルートを始めたきっかけについて書いたのでした。

先日、ひょんなことから22年ぶりに、浦和でフルートを習っていた(故)長谷川博先生のレッスン室にお邪魔させていただく機会がありました。長谷川先生にフルートレッスンが受けられることを夢のようと思いながら通ったことを思い出して胸がいっぱいになりました。私が仙台でフルート習っていた頃には(東京の)音大を目指す受験生は、地元でのレッスンを続けながら月に何度か列車で上京して音大の先生方のところに通っておりました。その芸大の先生に直接師事できるなんて夢みたいな話。私が通っていた時にも名古屋から来られている受験生がいました。

それまでは楽器店での無機質なレッスンでしたが、先生のご自宅は演奏用に天井を高く、ご趣味の写真を大きなパネルにして飾ってあったりグランドピアノも置いてあってゆったり広々、優美なお部屋。入り口もご自宅のお玄関とは別にしつらえてありました。レッスン室の入り口のドアを開けるのに最初はドキドキしたことを思い出します。私のレッスンの前にはプロを目指すような生徒さんたちが流麗な音を奏でていて、その後に自分が吹くのがためらわれるようでした。

(スタジオプラネットがある場所にあった旧宅で)祖母と一緒に暮らし始めたのが昭和49年6月のこと、ほぼ同時ぐらいに芸大の講師をなさっていた長谷川先生のご自宅にレッスンに通うようになりました。師事している先生の紹介で音大受験生が習いに来るようなことが多かったようですが、私の場合、今考えると「なんと厚かましい」と思うような流れでした。

<アルテ>というピアノでいえばバイエルみたいな教本があるのですが、その後ろにあったフルート協会に直に電話しちゃったのです。その教本ををフランス語から翻訳なさった方のお宅電話番号になっていたようでした。そこに「今度浦和に住むことになったのですが、フルートの良い先生がいたらご紹介いただけないでしょうか?」と問い合わせました。当時住んでいた下宿のそばの店先の公衆電話からのことでした。ネットでの情報などもなかった時代とはいえあまりに非常識で恥ずかしい‥。

長谷川先生はアマチュアのコーラスグループの指導をなさったりしてアマチュアへの理解もおありだったのが幸いしたと思います。「小さな虫が自分の体より大きな葉っぱを食べてしまうようにコツコツ音楽を続けていくように。」と言ってくださったことが心に残っています。1日に6時間も7時間も吹いているような受験生にまじって、日々一時間練習するかしないかみたいなことでしたが地味なエチュードのレッスンに励めたのはひとえに長谷川先生のおかげです。
2018.01.20 19:57 | 固定リンク | つぶやき
近況
2017.01.13
年が明けたと思ったら、あっというまに月半ばになろうとしています。7日土曜日に聴いてきた、小説「マチネの終わりに」とリンクしたコンサートのことを書こうと思いながら時間が過ぎていきます。その演奏会については次回書くことにいたします。

昨日は(亡くなった愛犬)アルフィを私たちが留守にするときに預かってくださっていた方のところにご挨拶に行ってきました。犬たちのレスキューをなさっている方で常時里親探しのわんちゃんたち10匹ぐらいがお家にいて、アルフィは家ではひとりぼっちなのに、そこはお友達がたくさんいるのでOさんがお迎えに来てくださると喜び勇んでついていっておりました。お世話になったお礼もありますが、「どんな所?どんなワンちゃんたちと遊んでいたの?」と思いながら千葉県野田まで行ってきました。大きい子はバーニーズから小さい子はミニピン(これはOさん宅で飼われている子)までたくさんいました。甘えて飛びついてくるゴールデンや茶ラブなども。殺処分寸前のところをレスキューして九州から空輸してきたのだとかいう子もいました。みんな可愛い子たちなのにどうして飼育放棄されてしまったのだろうかと思います。


10日11日には、足のリハビリで温泉病院に行ってきました。いつもは所沢インターから行くのですが今回は川越インターから。途中、富士山が綺麗に見えていました。温泉病院は石和(甲府の手前)にあって、高速を勝沼インターで降りたら雪がまだたくさん残っていて北国みたい。遠くの南アルプスの山々も雪をかぶって青空に映えて綺麗でした。いつも駅前の繁華街にいるので、こういう景色に見とれてしまいます。


三ヶ月に一度診察を受けないとリハビリしていただけなくて、今回はその診察がありました。<安心>始めさまざまな健康雑誌にも執筆されている矢野英雄先生という方に診ていただいています。手術ではなく保存療法を提唱されている先生で自己管理を説いておられます。診察の時には<痛みと歩数のチェック表>を提出することになっていて、ここ数年は痛みゼロで<歩容/歩き方>を直したいと通っていたわけでしたが、昨年の暮れには以前の痛みが復活してしまってシンドイ思いをしておりました。


矢野先生によると、<これまで愛犬で日々癒されていたのが失われたこと>が響いての痛みだろうということなのでした。「ペットロスからの痛みだろう」ということは自分でも思っていたのですが、<日々のストレスが愛犬で癒されてきていた>とまでは気がついていなかったので「そうだったか〜」と思いました。思い返してみると、外から疲れて帰宅しても玄関に飛んできて大喜びしてくれる姿に、疲れも吹き飛ぶようなことでした。そこで気持ちの切り替えもできて家の中ではご機嫌なアルフィのペースで暮らしていたのだったと思います。<ご機嫌で暮らしていく>って愛犬無しでは難しそう‥。







2017.01.13 09:11 | 固定リンク | つぶやき

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