ピアノオンラインレッスン
2021.05.08
大阪でピアノを教えている友達がコロナ禍でオンラインレッスンを始めました。離れていてもレッスン受けられるわけですし、3月から月に2回ぐらいのペースでレッスンしていただいています。ラインの近況報告のようなことでのつながりから画面越しにでも会えるようになって嬉しく思っているところです。

彼女は小学校4年生の時に仙台の小学校に転入してきて、卒業と同時に関西に転出。5年6年は別のクラスだったのに仲良しでいられたのは、家が近くてよく一緒に遊んでいたから。当時、少女漫画の<りぼん><なかよし>というのがあって付録についてきた便箋や封筒を大事にとってあったのだけれど、転出していった彼女との文通にだけ、その大切な便箋で手紙を書いておりました。大阪万博には声をかけていただいて数日泊めていただいたり、何年に一度か会ってきました。東日本大震災の後に「会いたい人には会っておこう」と大阪に会いに行ったとき「人生の最初の頃に、こんなにも素晴らしい人と出会っていたのだ。」と気がついたようなことでした。

私はピアノは小学校2年生で習い初めて、ツエルニー30番ぐらいで、引っ越したのを機にレッスン終了。‥というのかいき詰まって弾けなくなっておりました。その後も大人になって何度か習ってみたものの続きませんでした。今回、「もっと早くに彼女から習えていたら。」と思いました。「子供の頃に彼女のような先生に出会っていたらピアノも落ちこぼれなかったかもしれない」と思ったり。彼女の話だと「経験を重ねてきた今だから、この教え方になっている」とのこと。

小学校の時「こんなふうに弾くようにと教わった」と机の上で弾くまねをしてみせる彼女を見て「私はそんなこと教わっていない。ちゃんとした教え方じゃないのかもしれない。」と思ったことが印象にのこっています。笑い話みたいですが、ピアノ習い始めた頃、買ってもらったのは足踏みオルガンでした。同じ鍵盤楽器とはいえタッチもなにもあったものじゃありません。最初の発表会のあとに母が「オルガンじゃだめ。」と気がついたとのことで、ピアノを買ってもらいました。そのピアノはスタジオを始めたときに知人のお嬢さんに差し上げました。

今回、アップライトの自動演奏のピアノを自宅用に予約。昨年暮れに申し込んで納入は秋の予定です。「スタインウエイの自動演奏のピアノが出た」ということを知って、「スタジオのご利用も減ってしまったし、演奏会で生の演奏を聴く機会もコロナ禍で無くなってしまったし、この際、自動演奏のピアノに入れ替えて往年の著名な演奏家のピアノ演奏を聴けたら良いかもしれない。」と思ったことがきっかけ。それからいろいろな人の意見を聞きました。それだったらオーデイオの良いのを揃えた方が、性能のよいケーブルに変えるだけでも全然違うというマニアックな人の意見もあったり。自動演奏のピアノについては書き始めると長くなるので、またの機会に。
スタジオの当初からを振り返って
2021.04.21
ここ数日、スタジオを始めてからの資料をスキャンしてevernoteに保存。30年近く前の資料をながめながらいろいろ感慨に浸っております。

スタジオを始める前の資料も昨日スキャンして処分。当初、ピアノで有名な大手楽器メーカー二社に図面を依頼、その時に施工例として他の4箇所のスタジオの写真などをいただきました。「どうなさっているかしら?」とネットで検索してみたのですが、4箇所とも見当たりません。当時、企業はこういう維持管理にお金がかかるようなことから、例えば会員を募ってハイキングに出かけるようなお金のかからないものにシフトしていると言われたことを思い出します。

ヤマハでお勧めの資料には車一台分ぐらいの高価な照明機材、プロジェクターやスクリーンがありました。「それらを備え付けても使うことはなかっただろう」と思います。‥というのか、最初は多目的な空間を考えており、最初に作ったリーフレットには「パーテイにも」というような言葉を入れてあったのをホワイトマーカーで消したのでしたから。知人の紹介でスタインウエイのピアノを入れることが決まった頃から<音楽専用>と方針が定まりました。それで正解だったと思います。

「カラオケスタジオですか?」みたいに趣旨を理解してくださる人が少なかったのですが、お友達のご主人の設計士さんがコンセプトを理解してくださって「そういう空間って無かった。無いからこそ造りましょう。」と言ってくださって、私の思い通りのものを形にしてくださいました。その設計士さんはスタジオが完成して2年後に40代の若さで亡くなりました。今でも時々スタジオで「Nさんのおかげです!」とアチラの世界に居ても気持ちが伝わるかもしれないと思って独り言を言ったりしています。郊外型の大きな店舗の設計などを手がけている方でしたがプラネットを手がけて「家業を継がずに設計士を志した当初の情熱を思い出しました。楽しい仕事でした。」と言われたことが心に残っています。

録音機材も、当時はカセットとMDとDATがあって絞り込めなくて、結局「録音機材はお持ち込みで」ということにしたことも正解だったと振り返ってみて思ったりしております。ちょうど通話だけができる携帯電話が出回り始めた頃でした。キャリアによってはスタジオの中で繋がらなくて窓際に行って窓を開けて‥なんていうことがあったのを隔世の感で思い出します。今の子供達は最初からスマホがある暮らしですものね。私たちの世代は本当に変化に富んだ時代を生きてきたものだと思います。子供の頃、家に電話がなくて隣の家の電話を借りに行ったりしていたなんて、なんだか笑い話みたい。

前の記事に書いた司牡丹の酒道/黒金流のzoomでの質疑応答:懇談会の初回が今週末にあります。スタジオは「時間空間を共にして初めて出会える」つまり昨日と今日と1日違っても出会えないわけですし、いろいろな想いをこめてPLANETと名付けたのでしたが、ZOOMなどで<空間>は共にしなくても共に過ごせる時代になったと思います。

いろいろ振り返りながら「ここまでは良かったけれど、コロナ禍で今後はどうしたものかしら?」と思います。<引き寄せの法則>を信じているので自分なりの方向性が定まれば、そちらの方向に進めると思うのですが、イマイチ先が見通せない感じです。スタジオを始める前、10年近く構想をあたためていたのでしたから、これから10年で同じ気持ちでスタジオを続けてくださる後継者と出会えたら嬉しいと思ってみたりしているところです。
日本酒の話題
2021.03.30
2ヶ月半にわたる緊急事態宣言ようやく解除されましたが、第4派になりそうな懸念があって、ひきつづきマスクと消毒が欠かせない生活がつづきます。そんな中ですが、京都に行ってきました。

伏見で十石船に乗ったら、両岸の桜が満開でそれはそれは美しい眺め。桜の時期にはたとえ料金が倍額だったとしても乗る価値があると思いました。逆にこの時期に乗ってしまうと他の季節には物足りなく思えてしまいそうです。浦和の見沼の通船堀と同じ仕組みの水の高低差を変える水門(最近復元したもの)があって、そこで一度下船して資料館を見て迎えの船に乗って戻るようになっています。十人ずつ左右に分かれて背中合わせに座って両岸を見ながら往復します。二十人乗りの船の船尾の席だったので左右だけでなく後ろの桜のトンネルの眺めも見えてラッキーでした。



伏見では黄桜や月桂冠などの酒蔵が並んでいます。伏見夢百衆という大正時代に建造された月桂冠の旧本社建物を利用して作られたカフェで<利き酒>をしているということで予約。利き酒は私たちが行った日には(日によって違うのかと思うのですが)まず<伏見港>というお酒を少しいただいて、その後にABCDと四種のお酒を出していただいた中からどれが伏見港か当てるというものでした。AとBが違うというのはわかったのだけれど、CとDで迷って主人はD私はCと別々の答えにして主人が正解。当てた人には地元の商店街の1000円の商品券がいただけたので1000円の桜の羊羹を(消費税分80円足して)地元の和菓子屋さんで購入してきました。

伏見夢百衆で利き酒を終えたあと、14種類のお酒が置いてあって、45分間飲み放題1000円。(ネットで見ると60分16種類1500円になっています)お隣のテーブルのご年配の方が「ここは酒飲みには天国ですなぁ」と(酔って)真っ赤な顔で嬉しそうに言っていました。私はお酒よりも添えてあるお水が美味しくて何倍もおかわりをしてしまいました。伏見は伏水だったとかで何しろ水が美味しいです。秀吉の茶会にも使われたのだそう。

私が日本酒に目覚めた(?)のはスタジオを始めてからのこと。スタジオの上のマンションに地元の酒屋さんのご長男が住んでいて、友達の企画で<日本酒を楽しむ会>をしたことがあって、それまでは大吟醸とか山廃仕込みとか何もわからずにいたのが(今も決して詳しいとは言えませんが)そこで解説を聞いたり飲み比べたり。企画した友人はスタジオのオープニングの司会をしてくれた人で「昔は、巫女がお米を噛んでお酒をつくっていたのよ」と話してくれて「知らなかった〜」と思ったりしました。

当時彼女は<大人が美味しくお酒を飲めるお店を持ちたい>と話していたのに英国に定住することになったので実現しませんでした。一時帰国した時に一升瓶持ち帰ったりしていました。当時はまだ機内にお酒(液体)持ち込むのも大丈夫でした。時代も変わりましたよね。<相棒>にでてくる<花の里>のような行きつけのお店があって、疲れた時など一人で気軽に「何か美味しいもの食べさせて〜」と笑顔の素敵な女将がいるお店があったらと憧れたりしていました。彼女ならできそうだったのにとちょっと残念。

このたび司牡丹の代取が始められた<酒道 黒金流>というのに入門することになったので、日本酒のことも書いておこうと思った次第。人と人との繋がりが希薄になってきている/地方色が薄れてきていることなど思いに共感するところが多々あって入門することにいたしました。特典がいろいろある中で、ZOOMで直接 代取の竹村氏に質疑応答したり、他の愛好家の方々との懇談会もあり、楽しみにしているところです。

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