山梨のレストランでの演奏会を聴いて
2016.09.27
ひと月に一度ぐらいの割合で、石和温泉(山梨)の温泉病院に足のリハビリに出かけています。昨日、今日とリハビリを受けて、きょう戻ってきたところ。真夏を思わせる暑さで、でも空は<天高く‥>の秋の空で、「こんな日にドライブしながらきれいな空を眺められて嬉しい。」と思いながら愛車を(レヴォーグ)走らせてきました。

温泉病院は<笛吹市>にあります。昔から中央高速を通って笛吹川を越える時に、笛吹き(フルート)の私はいつも「笛吹川の名前の由来は?」と思っていました。石和温泉の温泉街には名前の由来になった笛吹権三郎の像があって悲しい言い伝えの碑もあります。勝沼インターで降りて南アルプスを正面に眺めながら20号を走って石和温泉に向かいます。山並みが見えて笛吹川を越えると<ふるさと>に帰ってきたような気がします。乗馬に行っている越生にも共通するような、のどかな雰囲気。

今回は日曜日の夕方にあちらで閉店(開店ではありません)なさって一年になるレストランベルクという所で開催された演奏会を聴きに日曜日から出かけてきました。私がそこを知るきっかけを書くとそれだけで長くなってしまうので別の機会にしますが前回温泉病院に行った時に、今回の演奏会のことを知りました。今回はお月様がテーマということでピアニストさんお二人にチェロとソプラノ。4人の出演者にたった10人の聴衆という贅沢な演奏会。窓から外の木々の緑が見えて、演奏会が終わる頃には虫の音が聴こえてきて、それはそれは豊かで幸せな時間が流れているのに、この人数で聴かせていただくのはもったいないと思いました。

今回の演奏会は月がテーマということだったのですが、連弾とチェロでのパッヘルベルのカノンの演奏もあって、「バッハが目を悪くしたのは月明かりで写譜をしたからと言われているので、この曲ももしかしたら写譜したりしたんじゃなかろうか。というコジツケでの演奏」ということなのでした。(数年前に解散になった)私が所属していた30人ぐらいのフルートアンサンブルが解散することになった時の最後の演奏会でも演奏しましたし、いろいろな機会に私も演奏してきたときのことを思い出しながら聴かせていただきました。バッハは目を悪くした手術の失敗が元で65歳で亡くなったと言われています。ネットによると同じ眼科医がヘンデルの目の手術も失敗したようなことが書かれています。手術するときには腕の良い医者を選ばなくちゃ‥なのは昔も今も変わりません。

バッハの肖像画など音楽室に飾られているのを見てきたりしましたが、バッハが亡くなったのと同じぐらいの年に自分がいつのまにかなってしまったことが何とも不思議。バッハが埋葬されているライプチヒの聖トーマス教会を訪れたのも平成3年のことでしたから25年も前になります。「そんなにも年月が経ってしまっている!」ということに驚いています。
2016.09.27 20:36 | 固定リンク | 未分類
ビルに居酒屋の〝ド派手〟な看板がついてしまいました
2016.09.17
階下のテナント工事が終わり、昨日リニューアルオープン、<豊後高田どり酒場>というのになりました<ど派手な赤と黄色の看板>で、新宿などにある居酒屋ばかりの雑居ビルみたいな印象になってしまってガックリ。かなりめげました。でもプラス思考の方から「これまでスタジオの場所がわかりにくかったのだから、初めて来る人に目立つ目印ができたと思えば。」と言われて少し気をとりなおしたところです。

三階のスタジオに上るには商店街からビル正面の階段をご利用いただいておりますが、裏の方のマンション入り口脇にも三階に上がれる階段があります。正面階段は一直線ですが、裏階段は各階ごとにぐるぐる回っています。以前はお隣のビルにお住いの方から、「階段をおしゃべりしながら降りて来られる話し声が気になるので避難階段として考えて、日頃は使わないでほしい。」と言われて裏階段はご案内しておりませんでした。何年か前にその入居者が変わりました。閑静な住宅街というわけでなく、騒々しい街中ですし、一日中そこで立ち話しているわけでもないですし、お隣に遠慮するまでもないことに思えて、今は裏階段もご案内するようにしております。一直線ではないので高齢者や小さいお子さんに安心な気がいたします。

初めて来場される人には裏階段はわかりにくいですが、定期利用の方など何度も来られているような方は主に裏階段を利用されているようです。3階の同じフロアにあるお隣のダンス教室に来られる方たちも裏階段ご利用の方が多いです。スタジオを始めた時のお隣はエステ、それから漫画喫茶になり、今のダンス教室になってから「雰囲気が良くなった。」と喜んでいたのですが、二階の今度の居酒屋はちょっとショックです。うちのスタジオは<午後枠のご利用5時終了>が大半なので、居酒屋が開店する前に来場されることが、せめてもの救いです。

考えようによっては<雑居ビルをあがったら非日常の別空間が中にある>みたいなギャップを楽しんでいただけるとも言えるかもしれません。
階下のテナントさんの工事
2016.09.11
きょうから二階の居酒屋さんのリニューアル工事が始まると、今朝になって連絡がありました。8月の末に工事する予定でしたが、ビルの看板の取り外しなどで道路使用許可をとったりのようなことで遅れたようです。「工事を遅らす。」とだけ聞いておりましたが「ご連絡遅くなってすみません」と今朝になってのご連絡。きょうはスタジオ下見でのご案内だけなので「スタジオのご利用が入っていない時でよかった!」とホッとしました。

二階の居酒屋さんはモンテローザさんという会社がなさっていて、白木屋として始まって笑笑、千年の宴と代わって、今度は焼き鳥屋さんになるようです。ビルができて21年目ですからだいたい7年に一度入れ替わっていることになります。すぐ階下ですから、いくらスタジオが遮音してあるといっても工事の音は響きそうです。15日にリハーサルでご利用の方がおいでになる時が、工事の予備日みたいになっているようでちょっと心配。でも終わりの頃だと家具の配置だとか音がしない内部の模様替えになっているのでは思います。


音の問題だけではなくて、出入り口の階段も業者さんたちが大勢入れ替わり立ち代り荷物持ったりして上がり下りしているようでも、演奏会に来場されるお客様にはご迷惑になってしまうところ。スタジオのご予約は半年前からの受付ですし、こういう工事の予定みたいなことは直前にならないとわかりませんから、そういう場合、ご利用者にはどう対処したものか?と思います。演奏会の延期をお願いするのかどうか、個別にご相談させていただくことになると思います。お隣のダンス教室は落ち着いていますし、上層階のマンションのお引越しはマンション専用のエレベーター利用ですし、二階の居酒屋さんの動向だけが気になるところです。でも今回リニューアルなさると次回はまた7年後ぐらいになるのでしょうから、当分の間は安心。
ウオッシュレット工事
2016.09.06
スタジオに男性用トイレひとつ、女性用は二つあります。その女性用トイレの奥の方の具合があまりよくないことに気がついて、ご利用者には「手前の方をつかってください。」と申し上げながら、昨日、ようやく水道屋さんに診ていただきました。あまり使われていないことが原因だったようです。「手前の方をつかってください。」と申し上げるから、悪循環となってなおさら使われないですものね。人間の体でも機械でも「使っていないと劣化してしまうのだわ。」と思いました。

最近、駅のトイレでもどこでもウオッシュレットになってきていて、「女性用の一箇所だけでもウオッシュレットにしようかしら。」と修理に来てくださった水道屋さんに相談してみました。私が貸し出し現場引退してから、ご利用いただく頻度も激減しておりましたし、この先、何年スタジオを続けるか不透明だしと思っておりましたが、ホームページのお引越しで心機一転、「もうしばらくスタジオ続けてみよう」と思うようになったこともあります。

現在使っているTOTOのものではなくて他社の製品で、多機能ではなくごくシンプルな物だったら私が思っていたより遥かにお手頃価格でウオッシュレットにできるのだとのこと。多機能な自動で蓋が開いたり閉まったり自動で流れたりみたいなことになるとお高くなるようです。男性トイレはコンセントがあるのだけれど、女性トイレはコンセント増設しなければなりません。「せっかくだったら三箇所ともウオッシュレットにしてしまったほうが。」ということになりました。あとになって「やっぱり他の二箇所も」みたいになりそうですものね。

水道屋さんから連絡受けた電気屋さんも、近くの現場に居て「今から5分ぐらいで行きます。」とのことで見に来てくださって金曜日にはコンセント工事の運びになりました。遅くとも来月中にはウオッシュレットになりそうです。
フルートと私 その1
2016.09.05
フルートを習い始めたのは高校2年の2月。ヤマハのグループレッスンのようなところに数回通ったところで、同じヤマハで個人レッスンに移行。受験勉強を始めるような頃でしたが、日曜ごとのレッスンに楽しく通うようになりました。小学校2年生の時に始めたピアノは中学生になる頃には止めてしまっておりました。

フルートを始めたきっかけについてはアチラコチラで話しているのですが、高校2年生のときの忘れがたいエピソードがあるのです。放課後にどこからか綺麗なフルートの音色が聴こえてきて、音色に引き寄せられるように行ってみたら誰もいなくなった教室で同級生のSさんが夕陽をあびて一人でフルートを吹いているのでした。レコードなどでフルートを聴くのとちがって、自分と同年齢の彼女がこれだけ美しい音を奏でているということでびっくり。当時、N響の首席奏者だったT氏が仙台に来られて彼女の演奏を聴かれたときに、その音色を褒めたということを後になって知ったのですが、そのときにはそんなことは知りませんから「私でもこんな綺麗に吹けるのかしら。吹いてみたい。」と思ったのでした。

彼女とは高校三年では同じクラスになり、卒業のときのクラスのお別れ会で、ギターとフルート2本で<白いブランコ>など演奏したのでした。彼女のフルートを聴いて憧れて習い始めたフルートでしたから、一緒にフルートを吹くことができて感激。彼女は高校卒業後に日本航空のフライトアテンダントになりました。子供の頃に「将来何になりたい?」と聞かれるとスチュワーデスと答えていた私は、その憧れの職業を現実のものとしてしまった彼女にびっくり。私たちが受験勉強に本腰入れようかというような時期に早々日本航空への就職が決まった彼女を羨ましく思ったりもしました。<身長何センチ以上、 容姿端麗 成績も良くなくちゃ>みたいなことが要件のスチュワーデスに合格した彼女のところには下級生が話を聞きに訪ねてきたりしていました。

卒業後にその彼女とは年賀状の交換だけになっておりましたが、「スタジオを始めました。」と年賀状に書き添えたことで、関心を持ってくださってフルート持ってスタジオに遊びにきて何年ぶりかの再会。その後、月に一度フルート持って遊びに来てくださるようになりました。地元のフルートのお仲間がスタジオに来られたときに彼女も加わって<君をのせて>をアンサンブルで吹いているときに、夕陽を浴びた校舎で(高校三年生の歌詞みたいですが)フルート吹いていた彼女がありありと思い出されて、その彼女と何十年後かにこんな風にアンサンブルをする日がくるなんて‥と思ったら涙が溢れてきてしまいました。

その彼女は世田谷から町田に越されて遠くなりましたし、お仕事も始められて、フルート持ってスタジオに遊びに来るのは年に一度になってしまいました。年に一度でも、私がフルートを始めるきっかけになった彼女と(こちらのフルート友達二人と四人で)合わせることができることを幸せなことに思います。スタジオを始めなかったら彼女とも年賀状の交換のままだったか、もしかしたらそれも途絶えてしまっていたかもしれないと思います。
2016.09.05 13:42 | 固定リンク | つぶやき

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