ホームページ7月末まで残すことに ほか
2026.03.10
3月でホームページ削除すると以前書きましたが、7月のスタジオ終了時まで残しておくことにいたしました。問い合わせのページからの営業メールに辟易してのことですが、あと4ヶ月のことですから我慢することに。スタジオに来場するお客様が地図など検索しようとしてホームページが無くなっていたら不安に思われそうですから。

話変わります。2月の絶不調、熱が下がってからも続く喉の痛みで友達に教えていただいた耳鼻科に行ったのですが、外の駐輪場で長いこと待たされて表での診察。寒いところで余計具合が悪くなりそうでした。幼稚園ぐらいの子供が自転車の後ろに乗せられてきて<インフルエンザB型>と診断されてましたが、具合の悪いのに連れてこられてなんだか可哀想。私が子供の頃にはお医者様が往診してくださったことを懐かしく思い出しました。古き良き時代。

<病中病後に>という養命酒を飲み始めました。ご存知かもしれませんが400年の歴史がある養命酒は徳川家康にも献上されたのだそうです。(実際めしあがったかどうかは定かではありませんが)それで日本初の商標ともいうべきロゴを家康からのご裁可で使うようになったのだとか。以上は私が常宿にしている鹿教湯温泉/斎藤ホテルのバスツアー斎藤駕籠屋で聞いた話。現代のサプリメントが100年後にもあるだろうか?と思った時に、養命酒の方が良さそうに思った次第。

昨年、桜の綺麗な時期に駒ヶ根の養命酒の工場と併設されている<くらすわの森>に幼馴染のNちゃんと出かけました。養命酒の工場は唯一駒ヶ根だけ。ここから日本国中に出荷されていきます。生産工程、自動で瓶詰めした製品が検品してはじかれていく様子や、赤い箱に入れられていく様子など興味深く楽しく見学。早太郎温泉という、早太郎という犬にまつわる伝説がある温泉に宿泊。広い敷地のくらすわの森>も早太郎温泉も気に入りました。<くらすわの森>という養命酒のお店は都内にも新宿高島屋ほかあって、神田にもできたことを最近知りました。養命酒が上場廃止になるのはどうしたことか?ツムラの傘下にはいることになるようです。信濃毎日2月20日朝刊に大きくとりあげられていました。400年続いてきた養命酒、この先も永く続くことを願っています。

話変わって、Nちゃんは私がものごごろついたときには、すでに目の前に<おともだち>として存在していました。半世紀以上の稀有な友人。彼女のお母様の話だと、近所に同じ歳の女の子がいなかったので私の母が「お友達になってください」と頼んだのだそうです。私は一人っ子で、彼女も弟だけで姉妹がいないので「二人で旅行しましょ。」ということになって、仙台在住の彼女と一年に一度の旅行をここ数十年してまいりました。その彼女から「もう旅行は無理。先々の体調に自信が持てなくて約束ができない。」と言われて「えー!まだそんな歳じゃないでしょう。」と言っていたのでしたが、2月に自分が絶不調になってみて、先々の約束ができないという彼女の気持ちがわかったような気がしました。養命酒の工場とその周囲のくるすわの森が最後の旅行の思い出の場所になりました。寂しいことですが、何にでも終わりはあるものですものね。
2026.03.10 20:47 | 固定リンク | 未分類
英国在住の親友が一時帰国
2026.03.05
31年前にスタジオオープニングの司会をしていただいた親友が英国から一時帰国。コロナ前は<箱根ランチつき日帰り温泉>みたいなことだったり、毎回あちらこちら一緒におでかけをしてきましたが、今回、私は2月に体調を崩して(絶好調ならぬ)絶不調でおでかけする自信をなくしておりました。「会えるだけでも良いので浦和に行くわ。」と浦和まで会いに来てくださいました。ロイヤルパインズホテルの19階の眺めの良いRPRでのランチの後、スタジオに寄っていただいて続きのおしゃべり。二人とも子供がいないので、「30年って子供がいたら孫もうまれてるような年月よね。」まだパソコン通信と言われて周囲にメールをする人がいなかった頃の最初のメル友、「当時のメールの送受信は電話回線だったのよね。」最近終了となったスカイプで英国と日本と時差はあってもおしゃべりは続けておりました。

彼女が渡英したのは1999年。2005年に「こちらに来てみたら」と言われて「実は脚を悪くしてしまって旅先で歩けそうにない。」と言ったら「車椅子押してあげるからいらっしゃいよ。」ということで、私が初めて車椅子を利用したのはロンドンなのでした。彼女は高齢のご夫婦のまるで娘のようにお屋敷の3階に間借りしておりました。その築100年のお家のゲストルームに二週間滞在させていただきました。お屋敷のご主人に連れて行っていただいた車椅子のリースのお店は広くて自走をはじめとする各種の車椅子がたくさんあってびっくり。車椅子でワンちゃんのお散歩させている人も見かけましたし、車椅子の人をたくさん見かけたように思います。英国滞在のエッセイに同じようなことを書いている人がいて、これは足の悪い人が多いのか、足が悪くても家にこもっていないで出歩く人が多いということなのか?と思ったりしました。(20年前の話で現在は違っているかもしれません。人工関節も目覚ましい進化ですから。)

当時、杖をついて歩くことはできたので、歩き疲れちゃったときのために小型の折り畳みの車椅子を借りました。記憶が薄れかかっていますが、なにしろdisabledにやさしかった。友達が折りたたみの車椅子を持って階段を上っていると上から降りてきた人が上まで持って戻るように上がってくださったり、駐車スペースも障害者は優先的に止めて良かったり。見学待ちの長い列も優先的に入れていただけたり。

今回、「人工関節の手術をするなら、術後の回復を考えて年齢的に筋肉が衰える前の今が良い。」とアドバイスくださった人がいて、「そうか。スタジオをやめると、術後数ヶ月リハビリしたりもできる状況になるのだ。」と思いました。以前は15年ぐらいしかもたないと言われた人工関節、数年前に手術した知人は「200年もつ」と言われたとのこと。200年人工関節で生きた人がいるわけもないので、摩耗実験などを人工的にシュミレーションしてのことでしょうけれど。私は20年温存してきたので「いまさら」という気持ちの方が強くて手術には踏み切れないでおります。テニスもゴルフもスキーもフラメンコまで踊って、そのどれにも未練はなくて、「(半世紀続けている)フルートが吹ければそれで十分満足」みたいなこともあって。
2026.03.05 19:05 | 固定リンク | 未分類
うま年
2025.12.10
来年は午年、スタジオプラネットとしての年賀状は最後になります。30年のご愛顧感謝と年賀状仕舞いのご挨拶を入れました。年賀状を当方から出すことはなくて、先にいただいた方にお返事として差し上げて今に続いている方ばかりです。印刷屋さんに出向いたら<年賀状仕舞い>の文面のサンプルがたくさんありました。年賀状仕舞いする人、多いのですね。整体の若いスタッフに聞いてみたら「年賀状を書いたこともないし、もらったこともない。」とのこと。平成生まれの彼らは子供の頃から携帯メールなどもあったでしょうし、今はラインでも新年の挨拶は交わせますものね。

私が乗馬を始めたのは、たまたま午年でした。乗馬は騎乗した鞍数で数えるので、私のような1日に1鞍で月に3回、雨でも降れば月に2回というのと、1日に2鞍も3蔵も乗って週に2回レッスンのような人とでは、同じ年数でも全く違います。私のは<乗馬>といえるようなことじゃなくて、今は<馬上整体>と言っています。実際馬上ヨガもあるようですものね。

テレビドラマのロイヤルファミリーが始まって、周囲でも競馬や馬に関心をもつ人が増えてきているようです。私は越生の乗馬クラブからセンタードライデイグという「馬にも人にも優しい乗り方」を指導している伊豆下田乗馬クラブに移ったのですが、そこでは雨が降るとグランドワーク(馬に乗らない)か講義。馬についてのレクチャーの中で心に残ったのは「野生の馬は群れの動物。そのリーダーとなるのは経験を積んだ雌の馬。敵から逃げるような時には方向や群れの子馬たちがついてこられるスピードを決めて走る。しんがりを務めるのは屈強な若者。」というのを聞いて「なんて徳の高い動物!」と感激しちゃったのでした。

そういえば、ガリバー旅行記の最後は、フウイヌムという馬(?)が中心の国で、人間は野蛮なヤフーとして描かれています。ガリバーは他のヤフーと違って徳が高いと思われていたけれど、最後には追放されて人間の国に戻るのだけれど、馬小屋で馬たちと話す時が一番心休まる時だったというような。ガリバー旅行記って大男の国とか小人の国とかが絵本にもなって有名ですが、意外に辛辣な風刺のお話だったみたいですよね。

馬についてはまだまだ書きたいことがあるので続編を書くことになるかもしれません。
2025.12.10 09:42 | 固定リンク | 未分類
来年夏にクローズします。
2025.11.01
スタジオは市民会館オープンまで続けるつもりでおりましたが、諸般の事情により、来年夏でクローズすることにいたしました。スタジオの問い合わせからのメールが各種営業ばかりなのにも閉口しております。以前は「動画で宣伝しませんか」というようなものが多かったですが、現在はAIを使ったサービスとか色々。6月か7月にするかは検討中。

30年、何はともあれ、大きな事故もなく無事続けて来られたことが何よりと思います。30年の間に二度、オーバーブッキングしたことがありました。こちらからお送りする振り込み用紙にご利用日時を書くことで、事前に発覚して当日に重なってしまうという最悪の事態は免れましたが、最近はネットで振り込んでくださる方も増えてきて、そうなると日時の確認をする最後の手段が無くなるのも心許なく思っているところです。

4月と7月の曜日が同じということに気がついたことも。当初、電話での予約受付メインでしていたころ、7月○日と思って「夏休みですね」と確認したら4月の聞き間違いだったことが判明して胸を撫で下ろしたことがあったことなど。当時電話を携帯に転送して、横断歩道の真ん中で電話がかかってきたりしたようなことも今となっては懐かしい思い出です。

内館牧子さんの「迷惑な終活」をオーデイブルで聴きました。スタジオをクローズするのも終活の一環ではあるのですが、先の小説の中では「人生でやり残したことを悔いなくすること」というような結論になっておりました。東日本大震災のあと「会いたい人には会っておこう」と大阪の友達に会いに行ったりしたことを思い出します。死なないまでも、元気で出かけられる時間も限られるような気がする年齢にもなりました。

スタジオを始めるときに相談した人たちのことも思い出したりしています。当時、起業したい女性たちからの相談をよく受けていた友達は「相談に来る人たちの多くはやりたいことが判然としないけれど、あなたは音楽スタジオをしたいということが明確なのだから良さそう」と言ってくださってました。それでも<女性が憧れるお店>ということで靖国神社前の陶器とカフェのお店に案内してくださって「お店ではなくてやっぱり音楽スタジオ」ということの再確認できたり。<戦後80年>で今年、桜の時期に靖国神社参拝をしたら、そのお店まだちゃんとあってなんだか嬉しかったです。

スタジオをしてきて良かったと思うのは、多くの人たちや曲との出会いがあったこと。今にいたるまでつながりがある人は少なくて、芝居でいうと第一幕二幕には登場するけれど第三幕からはもう出てこないみたいな。今スタジオをご利用くださっている方たちは第三幕から登場みたいな感じでしょうか。スタジオを始めた当初からご利用くださっているのは二組だけ。クリスマスの時期に発表会でずっと使ってくださっているK様と、ジャズピアノのT様。お年賀状の交換だけが続いているような人もいて、そういう人たちにスタジオ終了のお知らせと年賀状仕舞いを出すタイミングとしても良さそうに思ったりしているところです。
2025.11.01 15:36 | 固定リンク | 未分類
伊豆大島が大好きに
2025.02.20
2月18日19日と「伊豆大島でも雪の降る寒さ」と報道されていて、ちょうど一週間前の同じ火、水曜日と風もなく良いお天気に恵まれて大島に出かけられたことを重ねて「ラッキー」と思ったところです。大島のことをもう少し書いておくことにします。

大島の太陽、ここ浦和とそう緯度がかわるわけでもないのに日差しが強いのは「空気が澄んでいるからかしら?」と思いました。「その分紫外線も強いですよ。」と言われましたけれど。大島、すっかり気に入ったのは、<椿まつり>で混雑しているのではないかと思ってでかけたのに、最初にいった大島公園の椿園も、朝早いバスだったせいか動物園でお仕事なさるおばさんたち数人と降りただけ。広い園内でも私と同じように一人で来られている女性二人とすれ違っただけでした。お昼違くなって動物園には地元の家族連れのような人たちが来られてました。駐車場に数台止まっている車、数台が品川ナンバーなのに驚きました。大島は品川ナンバーだったのですね。3時間ぐらい椿園と動物園を見て回って、ガイドのKさんには椿園の椿資料館前に迎えにきていただきました。

椿の森公園では、天高くそびえている木が、空にむかって椿の花が咲かせているのを下から見上げて、「椿って、欅みたいに大木になるんだー。」樹齢250年の椿も根がはって立派でした。国際優秀椿園になっている<椿花ガーデン/都立大島高校/都立大島公園>の三箇所とも見て「今回の人生、一生分の椿見ちゃった」と思いました。椿の種類の多さにも圧倒されました。西洋の名前のものはバラの花のようだったりもして。

外国人観光客にほとんど会わない観光地というのも今では珍しいのではないかしら。富士山があれだけ綺麗に見えることがSNSなどで拡散されると、外国人観光客で溢れかえるのも時間の問題かもしれません。車の渋滞がないのも、カーフェリーが無いからのようです。島民の車と数が限られたレンタカーだけ。島を一周する道路も信号も少なく、渋滞もありません。内地の梅林など、お花の時期には渋滞、駐車場待ちみたいになることを考えると、大島の椿まつりは天国です。

大島に移住する人が多いこともガイドさんから聞いて、<大島町空き家バンク>というのを見たり、波浮で「ドラマの舞台になった古民家カフェ」と教えていただいたお店のオーナーの寺田直子さんのサイトを見たりしておりました。3月号の文藝春秋に「五年目の島暮らし」という寺田さんの随筆が巻頭に掲載されています。シンクロ!と思いながら読みました。大島町が舞台になったドラマも見てみたい。YOU-TUBEで短いショットを見ることができます。

実は、この後、長々と大島のことを書き連ねたのが、消えてしまいました。「ブログを書き始めた頃にはよく保存しそこなって消えたことがあったなぁ」と思います。「自分一人の思い出としておくので良い。」ということのように思います。大島はぜひまた行きたいです。
2025.02.20 11:22 | 固定リンク | 未分類

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