<マチネの終わりに>コンサート
2017.01.21
雪の軽井沢から帰宅したところです。あちらでブログを更新するつもりでパソコン持参で出かけたのですが、<マチネの終わりに>の演奏会のことを書くのが難しくて書けずに戻ってきてしまいました。「次回書きます」なんて書かなければ良かったと思うことしきりです。

小説<マチネの終わりに>はギターの先生の紹介で読んでみて、とても良かったので友達に勧めたら「どの辺りで自分に勧めようと思ったのか?」と聞かれました。ストーリーも、もちろん良かったのですが、もしかしたら最初に二人が出会った日の会話だったかもしれない。「人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでいる。だけど、実際は常に過去を変えているんです。」という辺りだったかもしれないと思います。


1月7日白寿ホールでのコンサート、演奏はギター福田進一、朴葵姫、ピアノ河野紘子。演奏の前に平野啓一郎さんと福田進一さん、作曲家の林さやかさんの三人のプレ・トークがありました。小説の中で実際のギター曲が次々演奏される中で<幸福の硬貨>という架空の曲があって、小説とリンクしたCDが発売される時にはそれも録音されるということで、私は発売前から予約して発売当日にそのCDを聴きました。平野氏がトークの中で<禁じられた遊びやカヴァテイナのような覚えやすいメロデイの曲>をリクエストされたというようなことを話されていて、カヴァテイナ大好きな私は嬉しかったです。林さやかさんが作られた曲は福田氏によるとギター曲としては指が何本も余計にないと弾けないようなものだったので、福田氏がいろいろ助言してかなり最初のものとは違ったような話でした。林さやかさんも自分の個性というより、小説の中の人物として作曲されたようなお話でした。


CDに<幸福の硬貨>が二回演奏されているのは、小説の中で演奏する場面が二回あるからで、その辺りはCDの解説書にも書かれていることですが、最初はプライベートな場面で、二回目は演奏会でのアンコール曲の場面でと演奏される状況が全くことなります。トークの中で平野氏がギターという楽器はホールで演奏会でというのもあるけれど、個人的に聴かせることもできる楽器というような表現を(もっと違う言い方でしたが)なさったのが、私がいつもギターのレッスン時に先生の演奏を相対で聴かせていただく至福の時間を思い出して「そうなのよね!」と思いました。


平野氏の話によると小説が新聞に連載されていた頃から「映像化してほしくない。でも音楽は聴きたい。」というファンの声が多かったそうです。映像化されてしまうとイメージが固まってしまいますものね。


トークを終えると平野氏と林さんはステージ左端から客席に降りてこられて中央の席で、観客とともに演奏会を聴いておいででした。私の席から離れていましたが(音楽評論家の)浜田滋郎氏と思われる方の両脇に座られたようでした。フラメンコを習っていた頃に、浜田氏が主催なさっていた<スペイン音楽こだまの会>というのに入っていたことがあります。プラネットの最初のホームページは「スペイン音楽こだまの会」みたいな雰囲気でとお願いしたことも思い出したりしておりました。








2017.01.21 22:02 | 固定リンク | 未分類
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2017.01.03
新年を迎えました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。親戚などには例年通り年賀状を出しましたが、親しい友人たちには「愛犬アルフィが亡くなって心情的にお年賀状は控えさせていただきます。」とメールしたりしておりました。

そもそも年賀状が苦手。親しい友人で「年賀状は書かない。まだ新年でもない、暮れの慌ただしい時期なのに<新年オメデトウ>みたいに言う気になれないの。」と割り切っている人がいます。新年を迎えてから年賀状を書く従姉妹もいて、毎年かなり遅い時期にお返事の年賀状がきます。私もそうしたいのですが、年上の方たちなどから先にお年賀状いただくのも恐縮なのでそうできずにいます。

年賀状が苦手なもうひとつのワケは、毎年「この人には出そうかやめておこうか?」と思うような人が何人かいて、やめると相手から年賀状が来て「やっぱり出しておけば良かった。」みたいなことで、翌年はこちらからも出すと相手からは来なかったりみたいなことを数年繰り返して終わるようなこと。昨年3月に15年続けてきた天文同好会を退会して、お年賀状の交換をしてきたような人たちに出そうかどうしようか悩んだりもいたしました。20年前にスタジオのオープニングにきていただいたけれど繋がりが絶えた人たち、逆にスタジオを始めたことで知り合った方たち、人との出会いもさまざまだと感慨深く思います。

お年賀状の交換だけになっているような人も多くなっていて、その中のお一人から「再婚しました。」と海外での結婚式の新郎新婦の写真の年賀状を頂戴したのにはビックリ。40年近く前にテニスで知り合ったご夫妻で、お互いに仙台出身、同郷ということや音楽つながりもあって、当時はお互いの家を行き来したり、スタジオを始めた頃ぐらいまで親しくさせていただいていました。奥様が亡くなられてからもう10年になるのだとか。共通の友達とお悔やみに伺ってからもうそんなになるのかと信じられない思いです。仲睦まじいご夫婦でしたから、お独りになられてどんなにお寂しかったかと思います。オメデトウという気持ちと、どちらかというと奥様の方と親しくさせていただいていたので「え!そうなの。」という気持ちとあってちょっと内心複雑な思いが交錯しています。

主人は元旦から例年通り母校の剣道部に初稽古に、きょうも都内に稽古に出かけています。高校時代の剣道部の顧問の先生が92歳になられた今でもお元気で初稽古に参加なさっているそうです。お元気なご高齢の方のお話を聞くと励みにもなって嬉しいです。
2017.01.03 10:18 | 固定リンク | 未分類
水星きょうから逆行開始
2016.12.19
書きかけのブログ、気づかずに公開になってしまっておりました。きょうから水星が3週間逆行します。星占いでは水星の逆行は「コミニュケーションや伝達の乱れに注意」になっています。恒星は規則正しい動きをしていますが、惑星たちはこんな風に地球からの見かけ上、逆に動き始めるように見えます。planetはギリシャ語で<彷徨うもの>を意味する語からきているのだとか。日本語でも惑う星と書きますものね。

水星といえば惑星の中で一番内側、太陽の近くを回っているためにコペルニクスでも見たことが無かったという逸話がありますが、ラッキーなことに私は二回だけですが観望する機会に恵まれました。

スタジオのオープニングの司会をしてくださった友達がどうしても「Planets」と複数にしてしまったのが可笑しかったです。彼女の中では「惑星は、水星、金星、火星‥と複数なのだから」という思いがあったのだと思います。私としては,生命の誕生した奇跡のような惑星、地球をイメージしてプラネットと名付けたのでしたけれど。スタジオプラネットと前に<スタジオ>とつけたのは、プラネットだけだとスナックか何かなのだろうか?と間違って入ってきてしまうような人がいそうな懸念があって、スタジオと名つけておけば写真スタジオだか美容院だかわからないにしても、なんとなく安心な気がしたからでした。

足の状態が良くなったので、調律をつけない方で私が貸し出しをできそうな方には様子を見ながらの貸し出しを始めたのでしたけれど、愛犬とのお別れやら主人がダウンしたり色々あったら、久々にまた痛みが出るようになってしまいました。痛みは無くても跛行していたので「フツウに歩けるようになりたい。」と思って温泉病院に通ったり自宅でもストレッチ他していたようなことを、棚上げになってしまったことが良くなかったと反省しているところです。早く元の痛みが無い状態になれると良いのですが。
2016.12.19 16:46 | 固定リンク | 未分類
ギターづいています
2016.10.25
あっというまに前回のブログ更新から2週間も過ぎてしまいました。
19日にはリュート奏者の水戸茂雄氏の15世紀16世紀のビオラ・デ・マーノと17世紀のバロックリュートを再現した楽器での演奏会を聴きに、23日には「ギターで繋ぐ世界の音楽/Saclaアーツ音楽世界紀行」私がギターのレッスンを受けている大坪純平氏先生のギターソロを南浦和の文化センターに聴きに行ってきました。

水戸茂雄氏は昔からのお知り合いで、スタジオのピアノを購入する頃に「スタインウエイを置いてはどうか」とご提案くださって、購入までの流れも作ってくださった、言わばスタジオの恩人のような方です。「カウンターが水回りと受付を兼ねられるというのはどうか?」というのも水戸氏のアイデア。(ご本人はそれを覚えておいでかどうか?)交流は無くなってしまいましたがCDを出されてのご案内は頂戴しており、毎回楽しみに手元に置いて聴かせていただいておりました。演奏会に伺うのは久しぶり。

ギターの大坪先生がリュートにも関心を持たれていて、水戸氏が中世の音楽に造詣が深いことなど憧れているようでしたので「水戸氏とは古いお知り合いなのよ。お引き合わせしましょうか?」とちょっと自慢気に、私も「お二人の音楽談義を傍で聴かせていただけたら素敵」という思いもあって、昨年の今頃、一席設けたのでした。水戸氏とはご結婚なさる前後に交流があったきりでしたので、久々にお会いしたらご子息が就活をなさっているというのでビックリ。自分に子供がおりませんので、まだ中学生か高校生ぐらいのイメージでおりました。先日の演奏会では受付をなさっていた奥様とも久しぶりにおめにかかれてお話もできて嬉しかったです。

演奏会のことも書きたいのですが、さらに長くなるのでこの日記はここまでにしておこうと思います。
2016.10.25 09:06 | 固定リンク | 未分類
山梨のレストランでの演奏会を聴いて
2016.09.27
ひと月に一度ぐらいの割合で、石和温泉(山梨)の温泉病院に足のリハビリに出かけています。昨日、今日とリハビリを受けて、きょう戻ってきたところ。真夏を思わせる暑さで、でも空は<天高く‥>の秋の空で、「こんな日にドライブしながらきれいな空を眺められて嬉しい。」と思いながら愛車を(レヴォーグ)走らせてきました。

温泉病院は<笛吹市>にあります。昔から中央高速を通って笛吹川を越える時に、笛吹き(フルート)の私はいつも「笛吹川の名前の由来は?」と思っていました。石和温泉の温泉街には名前の由来になった笛吹権三郎の像があって悲しい言い伝えの碑もあります。勝沼インターで降りて南アルプスを正面に眺めながら20号を走って石和温泉に向かいます。山並みが見えて笛吹川を越えると<ふるさと>に帰ってきたような気がします。乗馬に行っている越生にも共通するような、のどかな雰囲気。

今回は日曜日の夕方にあちらで閉店(開店ではありません)なさって一年になるレストランベルクという所で開催された演奏会を聴きに日曜日から出かけてきました。私がそこを知るきっかけを書くとそれだけで長くなってしまうので別の機会にしますが前回温泉病院に行った時に、今回の演奏会のことを知りました。今回はお月様がテーマということでピアニストさんお二人にチェロとソプラノ。4人の出演者にたった10人の聴衆という贅沢な演奏会。窓から外の木々の緑が見えて、演奏会が終わる頃には虫の音が聴こえてきて、それはそれは豊かで幸せな時間が流れているのに、この人数で聴かせていただくのはもったいないと思いました。

今回の演奏会は月がテーマということだったのですが、連弾とチェロでのパッヘルベルのカノンの演奏もあって、「バッハが目を悪くしたのは月明かりで写譜をしたからと言われているので、この曲ももしかしたら写譜したりしたんじゃなかろうか。というコジツケでの演奏」ということなのでした。(数年前に解散になった)私が所属していた30人ぐらいのフルートアンサンブルが解散することになった時の最後の演奏会でも演奏しましたし、いろいろな機会に私も演奏してきたときのことを思い出しながら聴かせていただきました。バッハは目を悪くした手術の失敗が元で65歳で亡くなったと言われています。ネットによると同じ眼科医がヘンデルの目の手術も失敗したようなことが書かれています。手術するときには腕の良い医者を選ばなくちゃ‥なのは昔も今も変わりません。

バッハの肖像画など音楽室に飾られているのを見てきたりしましたが、バッハが亡くなったのと同じぐらいの年に自分がいつのまにかなってしまったことが何とも不思議。バッハが埋葬されているライプチヒの聖トーマス教会を訪れたのも平成3年のことでしたから25年も前になります。「そんなにも年月が経ってしまっている!」ということに驚いています。
2016.09.27 20:36 | 固定リンク | 未分類

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