明後日は今月二回目の満月 しかも皆既月食
2018.01.29
ブルームーンという歌があります。「ブルームーンというのは一ヶ月に満月が二回めぐってくること」と思っていたのでしたが、wikipedeiaを見ると某雑誌が誤ったことを載せたのが通説になってしまったようです。本来は一年を4つの季節に区切った3ヶ月間で4回満月があるときの3回目を言うのだとか、ちょっとややこしいです。関心のある方はwikipedeiaをご覧になってみてください。

数年前にハワイ島のすばる望遠鏡見学と兼ねて月食を観望するツアーがありました。当時、天文同好会にも所属していた私は<すばる望遠鏡>を見たくてそのツアーに参加したのでしたが、すばる望遠鏡見学の感激と同じかそれ以上にハワイ島のマウナケア山頂に向かう途中で観望した皆既月食は忘れ得ぬものとなりました。

皆既月食そのものはそれほど珍しいものではなく日本国内でも観望できるわけですが、暗さがまったく違うのです。月が地球の影に隠れるにしたがって、月の周りの星が徐々に見えてくるのにも感激。それまで煌々と明るい満月に照らされていた周囲は一転して真っ暗に。マニアックな人が多かったので三脚持参で月食の写真撮る人たちがいました。その邪魔にならないように離れた所で観望している私たちをツアーの責任者の方が見回りに来てくださるのですが何しろまったく見えない。闇の中で足音が近づいてきて「そこに誰かいますか?」「会田です」みたいな感じです。月の写真を撮っている人たちに光源は厳禁ですから、下手に懐中電灯の灯りも向けられません。(赤いセロファンを貼った懐中電灯で足元だけ照らすようにして歩きます。日頃の天体観測の時にも赤いセロファンの懐中電灯は必須。)

その暗闇を体験して初めて「月の昇るのを心待ちにした古(いにしえ)の人たちの心情」が分かった気がしました。満月を過ぎて昇ってくるのが遅くなる月に<立ち待ち月><寝待ち月>というような名称がありますが、美しい月を鑑賞するために待つのかとノンキに考えていたのですが、それ以上に月の明るさをも心待ちにしたのだと思ったのです。都会にいると月が隠れても街明かりでいっこうに暗さ(月明かりの有り難さ)など感じませんものね。

私は戸田天文同好会の2000年のオーストラリアへの遠征を機に同好会に入会しました。「地平線から地平線までのあの星空を見たら人生観が変わる」と言われて「一度そんな降るような星空を見たい。」と思ったのです。ハワイの真っ暗な星空はそのオーストラリアの星空と同じぐらい星で埋め尽くされていました。その満天の星空の中に赤銅色の幻想的な月がぽっかり浮かんでいます。星がまばらだと星座も見つけやすいのですが全天降るような星空では明るい星を見つけて星座線を結ぶのが難しくなります。

スタジオにプラネット(惑星)と名付けたので「天文同好会にいるぐらい星が好きだからなのか。」と思われたりすることがありましたが、話は逆で、スタジオに天文同好会の方たちが来られたのが縁で入会したようなことでした。2年前に退会してからは「久しく綺麗な星空見上げていないなぁ」と寂しく思います。
竹内氏の典雅な演奏会
2018.01.27
竹内氏のリュート演奏会から早一週間。ご来場いただいた皆様どうもありがとうございました。竹内氏を丸く囲むように「当時の資料では聴く人は三人までと書いてあったりします。きょうは多すぎてしまいます。」というようなトークで、「中世の建物はこれぐらいの光ではなかったか」と思うぐらいほのかな灯りの中での演奏会となりました。

途中、ハープリュート(初めて見ました!)の弦が切れるハプニングも。演奏が始まる前に「どうしてこの楽器が廃れたのか考えながら聴いてみてください。」と言われたのでしたが「こんな風によく弦が切れたからでもあるのです。」と巧みなトーク。長年演奏してこられて本番中に弦が切れたのは初めてなのだそうです。「そんな稀な場面を体験できてラッキーですよ」と話しながらも弦を張り替えて何度もチューニング。


リュート奏者は演奏しているよりもチューニングしている時間の方が長いという話は聞きますが、「80年の人生だと60年は調弦している」と言った人がいたのだとか。24弦もあるような古楽器もあって、それだと最初の弦から調弦し始めて最後の頃にはもう最初の弦の音程が違っていたりするようなこともあったようです。先日の演奏会でもお客様の息で湿度が上がって弦は狂ってきてしまうので合間に何度も調弦。「息をしないでください。」と笑いをとる場面も。


リハーサルでスポットライトをあてたりもしたのですが「無い方が良い」ということで、あまりに暗すぎるので、最近買い求めたランタンを自宅から持って行ったらお気に召していただいて、後ろに光源があると楽譜が見やすくなるからということで4段階切り替えできるうちのかなりくらい灯りで利用されていました。


話飛びますが、懐中電灯は手に持って進行方向を照らすには良いのですが、停電のときなどに四方八方を照らすにはランタンが良いだろうと、逆さにして上から吊るしてキャンプ用にもなる可愛いランタンを買ったところでした。この雪で停電の地域もけっこうあったようですものね。灯りも何段階にも調整できて明るいと9時間、一番くらいほのかな灯りにすると142時間、単三電池6個で持続するという優れものです。寝る前に瞑想などするときにロウソクのような温かみのある明るさになります。


話があちらこちらいきますが、このブログに何度か登場しているクラウドファンデイングを通して知り合ったギターのマリアデユオのお二人が初めてプラネットにおいでくださいました。菅原さんのブログにこの竹内氏の演奏会のことを書いてくださっています。4月1日にネパールの子供たちへのチャリテイコンサートにスタジオプラネットを提供させていただくことになっています。詳細がわかりましたらブログの方でご紹介させていただきますので、ぜひおいでくださいますように。その演奏会のあとネパールへのツアーも企画なさっています。お二人がネパールに設立された音楽院や、ギター50台寄贈なさったギターオーケストラを実際に見たり聞いたりできるツアー。エネルギッシュなお二人に頭が下がります。



フルートと私 その2
2018.01.20
<フルートと私 その1>を書いたのがいつ頃だったかしら?と探してみたら2016年の9月のことでした。高校2年、受験勉強が始まろうかという頃に仙台でフルートを始めたきっかけについて書いたのでした。

先日、ひょんなことから22年ぶりに、浦和でフルートを習っていた(故)長谷川博先生のレッスン室にお邪魔させていただく機会がありました。長谷川先生にフルートレッスンが受けられることを夢のようと思いながら通ったことを思い出して胸がいっぱいになりました。私が仙台でフルート習っていた頃には(東京の)音大を目指す受験生は、地元でのレッスンを続けながら月に何度か列車で上京して音大の先生方のところに通っておりました。その芸大の先生に直接師事できるなんて夢みたいな話。私が通っていた時にも名古屋から来られている受験生がいました。

それまでは楽器店での無機質なレッスンでしたが、先生のご自宅は演奏用に天井を高く、ご趣味の写真を大きなパネルにして飾ってあったりグランドピアノも置いてあってゆったり広々、優美なお部屋。入り口もご自宅のお玄関とは別にしつらえてありました。レッスン室の入り口のドアを開けるのに最初はドキドキしたことを思い出します。私のレッスンの前にはプロを目指すような生徒さんたちが流麗な音を奏でていて、その後に自分が吹くのがためらわれるようでした。

(スタジオプラネットがある場所にあった旧宅で)祖母と一緒に暮らし始めたのが昭和49年6月のこと、ほぼ同時ぐらいに芸大の講師をなさっていた長谷川先生のご自宅にレッスンに通うようになりました。師事している先生の紹介で音大受験生が習いに来るようなことが多かったようですが、私の場合、今考えると「なんと厚かましい」と思うような流れでした。

<アルテ>というピアノでいえばバイエルみたいな教本があるのですが、その後ろにあったフルート協会に直に電話しちゃったのです。その教本ををフランス語から翻訳なさった方のお宅電話番号になっていたようでした。そこに「今度浦和に住むことになったのですが、フルートの良い先生がいたらご紹介いただけないでしょうか?」と問い合わせました。当時住んでいた下宿のそばの店先の公衆電話からのことでした。ネットでの情報などもなかった時代とはいえあまりに非常識で恥ずかしい‥。

長谷川先生はアマチュアのコーラスグループの指導をなさったりしてアマチュアへの理解もおありだったのが幸いしたと思います。「小さな虫が自分の体より大きな葉っぱを食べてしまうようにコツコツ音楽を続けていくように。」と言ってくださったことが心に残っています。1日に6時間も7時間も吹いているような受験生にまじって、日々一時間練習するかしないかみたいなことでしたが地味なエチュードのレッスンに励めたのはひとえに長谷川先生のおかげです。
2018.01.20 19:57 | 固定リンク | つぶやき
浦和駅ビル3月16日オープン
2018.01.13
前のブログにレコードのことを書きました。1月11日の日経の文化欄に<レコード針作り フル回転>という森田耕太郎という方の文章が掲載されていて「あら!」と思いました。cdの影響で2010年に9万5千本にまで落ち込んだレコード針の生産は一昨年には20万本に回復したそうです。「部品から一貫製作しているので主要な音響機器メーカーのほぼ全てに対応する2200種の針を作れる」とありました。あまりの多さにびっくり。

話題が飛んで浦和駅ビルについて。この春、3月16日に駅ビルの西側が完成オープンします。2年前に北口改札ができてからそちらばかり使っておりましたので、久しぶりに駅の正面に行ってみたらビルの覆いが外され、立派な駅ビルがそびえていて「浦和じゃない他の街に来たみたい。」と思いました。駅ビル完成にともなって地下通路でバスターミナルのある広場や伊勢丹コルソにつながるのだそうです。今は<駅のコンコースから改札出て地上に上がって、駅前の階段を降りて地下道>みたいに上がったり降りたりしていたのが雨にも濡れずに直にデパートに入れて便利になります。駅前の横断歩道を渡る人も大幅に減りそうです。

駅ビルにはアトレとスポーツクラブジェクサーが入るということで、昨日、新聞にジェクサーの<オープン先行入会キャンペーン>の折り込み広告が挟まれてきました。なんとスポーツジムは朝5時から26時までオープンしているのだそうです。出勤前や仕事帰りにということなのでしょうね。浦和駅近くには東急オアシスがあり、東口のパルコのビルにはメガロスも入っています。メガロスがオープンした時、東急オアシスから移られた知人がけっこういました。メガロスがオープンする頃に、スタジオプラネットの隣の部屋に短期のテナントとしてメガロスが入会者の受付をするために借りていたことを思い出しました。入会希望者が行列していたようでした。新しいスポーツクラブができるとまたそちらに移る人が多そう。今はやりの人工炭酸泉もありますから。今メガロスに通っている友達の一人も西口のご自宅から通うのに近いジェクサーに移るつもりと話していました。

スタジオの隣のお部屋は当初エステだったのがインターネット&漫画喫茶に、その後、短期のメガロスから今のダンス教室になっております。スタジオに上がる外階段の隣でスタジオの地図の目印にしているお店は、当初ドトールコーヒーからモスバーガー、手もみん、お菓子のまちおかと変わって今は携帯電話のテルル、その度にホームページの地図を直していただいたり、パンフレットがあったころには修正テープを貼ったり。消費税やら何やらいろいろ変化するたびに印刷したパンフレットは修正が必要になってきますから、今はパンフレットは作らずに「ホームページご覧になってください。」ということにさせていただいております。周囲は変わってもスタジオを続けていられることはご利用くださる皆様のおかげと有り難く思っております。
2018.01.13 07:53 | 固定リンク | 地元の話題
本年もどうぞよろしく御願いします/レコード
2018.01.06
新年を迎えたと思ったら、もう明日で松の内も終わり。(一説には関西では15日までが松の内なのだとか?)スタジオの貸し出しは今日からスタートです。

スタジオのCDプレーヤー、もともと我が家で使っていたものを(当時、我が家の機器を新調したこともあって)スタジオで使い始めたのが昨年まで持ちこたえてなんと20年も使ってきたようなことでした。昨年、ついに壊れて買い換えました。スタジオのご利用者が「DVDプレヤー兼用の格安のがある」と教えてくださって、YAMADA電気に見に行ったらホントに数千円の品があって発売元が浦和の会社だったことにも親しみを感じて購入。でもお値段がお値段だけに仕方ないことだとは思いますが、使い勝手がイマイチなので、近々買い換えることに。


スタジオを始めた頃にはまだカセットやMDが出回っておりました。そもそも私が子供の頃には78回転のレコードだったこと、父がステレオを購入してきた日のこと、ワクワクしながら聴いたことなど思い出しておりました。サンプルレコードはラテンだったと思います。「右からと左からのスピーカーと違う音が聴こえて来る!」と弾んだ気持ちでレコードを聴いたものでした。私が最初にお小遣いで買ったLPは忘れもしないビートルズのヘルプ。


今、またレコードが流行りだしているのだとか。CDには耳に聞こえないからカットしてあるような周波数の音までレコードには入っているのだとかいうようなことですものね。何しろ捨てられない性分なので昔のレコード、33回転のLPアルバムだけでなく45回転のドーナツ盤までも含めてたくさん手元にあります。最近、そのレコードを折に触れ聴いています。レコード針が盤に落ちる瞬間っていいですよね。<古き良き時代>と思うのはこの年齢だからなのかしらね。スマホでも音楽は聴けるわけですが、どうも味気なく思えてしまうのは<昭和生まれ>ゆえのことなのかもしれません。

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