伊豆大島が大好きに
2025.02.20
2月18日19日と「伊豆大島でも雪の降る寒さ」と報道されていて、ちょうど一週間前の同じ火、水曜日と風もなく良いお天気に恵まれて大島に出かけられたことを重ねて「ラッキー」と思ったところです。大島のことをもう少し書いておくことにします。

大島の太陽、ここ浦和とそう緯度がかわるわけでもないのに日差しが強いのは「空気が澄んでいるからかしら?」と思いました。「その分紫外線も強いですよ。」と言われましたけれど。大島、すっかり気に入ったのは、<椿まつり>で混雑しているのではないかと思ってでかけたのに、最初にいった大島公園の椿園も、朝早いバスだったせいか動物園でお仕事なさるおばさんたち数人と降りただけ。広い園内でも私と同じように一人で来られている女性二人とすれ違っただけでした。お昼違くなって動物園には地元の家族連れのような人たちが来られてました。駐車場に数台止まっている車、数台が品川ナンバーなのに驚きました。大島は品川ナンバーだったのですね。3時間ぐらい椿園と動物園を見て回って、ガイドのKさんには椿園の椿資料館前に迎えにきていただきました。

椿の森公園では、天高くそびえている木が、空にむかって椿の花が咲かせているのを下から見上げて、「椿って、欅みたいに大木になるんだー。」樹齢250年の椿も根がはって立派でした。国際優秀椿園になっている<椿花ガーデン/都立大島高校/都立大島公園>の三箇所とも見て「今回の人生、一生分の椿見ちゃった」と思いました。椿の種類の多さにも圧倒されました。西洋の名前のものはバラの花のようだったりもして。

外国人観光客にほとんど会わない観光地というのも今では珍しいのではないかしら。富士山があれだけ綺麗に見えることがSNSなどで拡散されると、外国人観光客で溢れかえるのも時間の問題かもしれません。車の渋滞がないのも、カーフェリーが無いからのようです。島民の車と数が限られたレンタカーだけ。島を一周する道路も信号も少なく、渋滞もありません。内地の梅林など、お花の時期には渋滞、駐車場待ちみたいになることを考えると、大島の椿まつりは天国です。

大島に移住する人が多いこともガイドさんから聞いて、<大島町空き家バンク>というのを見たり、波浮で「ドラマの舞台になった古民家カフェ」と教えていただいたお店のオーナーの寺田直子さんのサイトを見たりしておりました。3月号の文藝春秋に「五年目の島暮らし」という寺田さんの随筆が巻頭に掲載されています。シンクロ!と思いながら読みました。大島町が舞台になったドラマも見てみたい。YOU-TUBEで短いショットを見ることができます。

実は、この後、長々と大島のことを書き連ねたのが、消えてしまいました。「ブログを書き始めた頃にはよく保存しそこなって消えたことがあったなぁ」と思います。「自分一人の思い出としておくので良い。」ということのように思います。大島はぜひまた行きたいです。
2025.02.20 11:22 | 固定リンク | 未分類
直感を大事に
2025.02.15
伊豆大島に9日の夜の客船ででかけて翌朝6時に到着、12日午後のジェット船で帰ってまいりました。10日からの三日間晴天、風も無いというのは「超ラッキー」と地元の人に言われました。帰宅した13日は大風でジェット船は全部欠航しておりましたから「超・超ラッキーだった。」と思います。

今回の旅行のことを「大島に行ってきました。」みたいに書き始めてみたのですが、書きたいことが多すぎちゃって、どうにもまとまりません。今回の旅行で心に刻んだのは「直感を大事にしよう。」ということだったので、それを書くのが良いのかもしれないと、あらためて書き始めたところです。


船で眠れなかったので7時ぐらいには寝てしまい、翌朝5時前に目が覚めて「もう少し寝ていようか」と迷ったのですが、5時から入浴できる温泉、「こんな時間に入浴する人もいないだろうからやはり温泉に行ってみよう。」露天風呂の正面のまだ暗い夜空に、蠍座の頭からクルリと曲がった尾まで全体が見えていて感激。20年近く前、天文同好会時代に「あの星はなんですか?」「蠍座の尾の方です。」と教えていただいたことを懐かしく思い出しました。ISS(国際宇宙ステーション)がカラス座の近くの空を横切って行くのが見えたのに加えて、流れ星までも。「流れ星見るのいつ以来?」と思いました。「温泉に行ってみよう。」と思った気持ちに従って大正解と思った次第。ISSは念のために部屋に戻って調べてみました。八丈島の通過時刻が記されていて大島通過はその時間だったようです。飛行機は音がしますし光が点滅していますがISSは静かに滑るように夜空を横切っていきます。


ちなみに宿は三原山の中腹にある大島温泉ホテル。すっかりお気に入りの宿になりました。温泉(かけ流し)の質が良いことに加えて、露天風呂の目の前に三原山、その手前の樹林の雄大な眺めが素晴らしい。私が宿泊した海側の広々したツインの部屋からは富士山が真正面に見えていました。こんなに離れているのに富士山が部屋から見える宿というのも珍しいのではないかしら。昔、富士山を眺めていられる温泉宿に泊まりたくて。当時はオンライン検索みたいなことは、まだできなかったので、カード会社の「UCなんでもデスク」のようなところに「富士山が見える温泉を教えてください。」と相談電話したことがあったのを思い出しました。なんでもネットで検索できる便利な時代になりましたよね。

今回の旅行は、そんな風に人生の越し方を振り返るような旅にもなりました。一人旅の今回、三日間ガイドをお願いしたKさんが素晴らしく、彼女との出会いが三原山の山頂からの眺めや、バウムクーヘンと呼ばれる地層断面と同じかそれ以上に心に残りました。私よりずっとお若いのだろうと思っていたら「アイダさんより年上です」と言われてびっくり。私は二年後にスタジオを引退しようと思っているわけですが、彼女は今でもダイビングもなさるし「生涯現役でいることが大事」と言われて考えてしまっております。


旧市民会館が取り壊されて、新しい市民会館ができる二年後に引退を考えているのは、万が一にも自分の身に何かあったりして貸し出しができなくなるような迷惑をかけたくないという思いからなのですが、そうならないための何か策があるだろうか?とも思ってみたり。居抜きのような形で後をお願いできそうな候補者がいてくださるのですが、その人に相談して例えばしばらくは共同で運営するみたいなことが可能なのかどうか。あるいはフルートをもう少し本格的にしていくとかいうような他のことで生涯現役でいるのが良いのか…。
2025.02.15 07:58 | 固定リンク | 未分類

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