うま年
2025.12.10
来年は午年、スタジオプラネットとしての年賀状は最後になります。30年のご愛顧感謝と年賀状仕舞いのご挨拶を入れました。年賀状を当方から出すことはなくて、先にいただいた方にお返事として差し上げて今に続いている方ばかりです。印刷屋さんに出向いたら<年賀状仕舞い>の文面のサンプルがたくさんありました。年賀状仕舞いする人、多いのですね。整体の若いスタッフに聞いてみたら「年賀状を書いたこともないし、もらったこともない。」とのこと。平成生まれの彼らは子供の頃から携帯メールなどもあったでしょうし、今はラインでも新年の挨拶は交わせますものね。

私が乗馬を始めたのは、たまたま午年でした。乗馬は騎乗した鞍数で数えるので、私のような1日に1鞍で月に3回、雨でも降れば月に2回というのと、1日に2鞍も3蔵も乗って週に2回レッスンのような人とでは、同じ年数でも全く違います。私のは<乗馬>といえるようなことじゃなくて、今は<馬上整体>と言っています。実際馬上ヨガもあるようですものね。

テレビドラマのロイヤルファミリーが始まって、周囲でも競馬や馬に関心をもつ人が増えてきているようです。私は越生の乗馬クラブからセンタードライデイグという「馬にも人にも優しい乗り方」を指導している伊豆下田乗馬クラブに移ったのですが、そこでは雨が降るとグランドワーク(馬に乗らない)か講義。馬についてのレクチャーの中で心に残ったのは「野生の馬は群れの動物。そのリーダーとなるのは経験を積んだ雌の馬。敵から逃げるような時には方向や群れの子馬たちがついてこられるスピードを決めて走る。しんがりを務めるのは屈強な若者。」というのを聞いて「なんて徳の高い動物!」と感激しちゃったのでした。

そういえば、ガリバー旅行記の最後は、フウイヌムという馬(?)が中心の国で、人間は野蛮なヤフーとして描かれています。ガリバーは他のヤフーと違って徳が高いと思われていたけれど、最後には追放されて人間の国に戻るのだけれど、馬小屋で馬たちと話す時が一番心休まる時だったというような。ガリバー旅行記って大男の国とか小人の国とかが絵本にもなって有名ですが、意外に辛辣な風刺のお話だったみたいですよね。

馬についてはまだまだ書きたいことがあるので続編を書くことになるかもしれません。
2025.12.10 09:42 | 固定リンク | 未分類
来年夏にクローズします。
2025.11.01
スタジオは市民会館オープンまで続けるつもりでおりましたが、諸般の事情により、来年夏でクローズすることにいたしました。スタジオの問い合わせからのメールが各種営業ばかりなのにも閉口しております。以前は「動画で宣伝しませんか」というようなものが多かったですが、現在はAIを使ったサービスとか色々。6月か7月にするかは検討中。

30年、何はともあれ、大きな事故もなく無事続けて来られたことが何よりと思います。30年の間に二度、オーバーブッキングしたことがありました。こちらからお送りする振り込み用紙にご利用日時を書くことで、事前に発覚して当日に重なってしまうという最悪の事態は免れましたが、最近はネットで振り込んでくださる方も増えてきて、そうなると日時の確認をする最後の手段が無くなるのも心許なく思っているところです。

4月と7月の曜日が同じということに気がついたことも。当初、電話での予約受付メインでしていたころ、7月○日と思って「夏休みですね」と確認したら4月の聞き間違いだったことが判明して胸を撫で下ろしたことがあったことなど。当時電話を携帯に転送して、横断歩道の真ん中で電話がかかってきたりしたようなことも今となっては懐かしい思い出です。

内館牧子さんの「迷惑な終活」をオーデイブルで聴きました。スタジオをクローズするのも終活の一環ではあるのですが、先の小説の中では「人生でやり残したことを悔いなくすること」というような結論になっておりました。東日本大震災のあと「会いたい人には会っておこう」と大阪の友達に会いに行ったりしたことを思い出します。死なないまでも、元気で出かけられる時間も限られるような気がする年齢にもなりました。

スタジオを始めるときに相談した人たちのことも思い出したりしています。当時、起業したい女性たちからの相談をよく受けていた友達は「相談に来る人たちの多くはやりたいことが判然としないけれど、あなたは音楽スタジオをしたいということが明確なのだから良さそう」と言ってくださってました。それでも<女性が憧れるお店>ということで靖国神社前の陶器とカフェのお店に案内してくださって「お店ではなくてやっぱり音楽スタジオ」ということの再確認できたり。<戦後80年>で今年、桜の時期に靖国神社参拝をしたら、そのお店まだちゃんとあってなんだか嬉しかったです。

スタジオをしてきて良かったと思うのは、多くの人たちや曲との出会いがあったこと。今にいたるまでつながりがある人は少なくて、芝居でいうと第一幕二幕には登場するけれど第三幕からはもう出てこないみたいな。今スタジオをご利用くださっている方たちは第三幕から登場みたいな感じでしょうか。スタジオを始めた当初からご利用くださっているのは二組だけ。クリスマスの時期に発表会でずっと使ってくださっているK様と、ジャズピアノのT様。お年賀状の交換だけが続いているような人もいて、そういう人たちにスタジオ終了のお知らせと年賀状仕舞いを出すタイミングとしても良さそうに思ったりしているところです。
2025.11.01 15:36 | 固定リンク | 未分類
今後のこと
2025.07.21
プラネットは市民会館うらわが2027年4月オープンとのことで、それに合わせて終了を考えております。それまでの期間は終わりに向けてクールダウン、<新規ご利用者への貸し出しは見合わせております。>とホームページの最初に載せております。飛行機でいえば着陸体制にはいったというところでしょうか。

スタジオの「3階まで階段」というのは今の時代に合わなくなっていると痛感しております。スタジオを始めた30年前には浦和駅もエスカレーターもエレベーターもなく階段だけでした。私自身も股関節症になる前で、さほど不自由も感じておりませんでした。今はマンション用のエレベーターが止まる四階から階段を降りてくるようになっております。今はどこもバリアフリーになってきていますものね。

当初、高齢者が文部省唱歌などを歌うような会での定期利用が二つありましたが、ひとつはパルコの上に音楽室ができた時にそちらに。もう一つは老人施設の集会室を利用することになったと、かなり以前にスタジオから引き上げていかれました。

三階まで階段というネックの他に、お子様中心の発表会などですと兄妹などが聞きにこられて退屈したとしてもホワイエのような場所がありません。外に出て階段などで遊ぶようなことで事故があってもいけないと、イベント保険をかけて発表会をなさった方もおいででした。友人の話によると、お孫さんはマンションでワンフロアで、彼女の家の階段がお気に入りの遊び場になっているのだと聞いて「ナルホド」と思いました。私が子供の頃もジャンケンでパイナップルは5歩進むみたいな遊びを階段でしましたものね。

マンションの居住者用のエレベーターを三階に停止するように操作はできるので、重たい楽器の搬入などはエレベーターをご利用いただくこともあります。マンション用の入り口はオートロックで、その入り口の解除から自分が立ち会わなければなりません。一階でオートロックで不審者が入らないようにしているのに、3階にエレベーターが止まると3階から不審者が居住者のフロアに上がってしまうことになるので、3階フロアのエレベーター停止も自分が立ち合うようなことになります。

女子大のチャリテイコンサートも十数回続いたのですが、高齢化がすすみエレベーター利用者が大勢、その上スリッパの会場でお靴の間違いがあってから「一階で靴で入れる会場の方がよろしいのでは。」とご提案して終了となりました。昨年、臨時のイベントでご利用いただいたときには、靴の取り違えがないように札をつけたりなさっていました。私たちの世代は似たような歩きやすいウオーキングシューズが多いですから。

今はこの空間をこのまま活かしてご利用くださる人にテナントとして借りていただけたらと思っております。でも階段利用の会場で無理そうでもあり、今、<練習場所として使ってくださっているセルフでの利用が可能な方たち>に使っていただきながら、プラネットが気に入って長年ご利用くださっている人たちに限ってご利用いただくようなことを続けていくことになるのかもしれません。

再来年までゆっくり今後のことを考えなければと思っているところです。

- CafeNote -