いつまでプラネットを続けていくのか
2023.02.19
「いつまでスタジオプラネットをつづけていくのか?」ということを、ここのところ考えていたのですが、当面「市民会館浦和が出来上がるまでは先々のことを考えないで今のまま続けていこう。」と思うようになっております。ここのところ与野の芸術劇場や田島公民館が改修工事、浦和の市民会館が閉鎖になって、会場探しをなさっている方たちが来られています。必要とされているうちは続けたいです。浦和駅西口の再開発工事、解体作業は順調そう、建物が立ち上がって市民会館オープンは2025年の予定のようです。

演奏会よりは「練習などでの定期利用に」と思っていたら、ここのところその趣旨の問合せが続いて、明日もそのための下見においでいただくことになっています。昨年の今頃、<一歳年上の初恋の相手が突然亡くなったこと>をこのブログに書きました。自分になにかあったとき、ご利用者に迷惑をかけたくありません。若い頃から「自分の身になにかあったら」ということが気になっておりました。

そういう時のために最悪スタジオの中に入れるように、キーボックスを近くに設置して「万が一の時にはそれで入室してください。」みたいにしようかと考えているのですが、それだと借りる側は「当日、(私が)不在で自分達で入らなくちゃならないこともあるのか」と不安に思われそうです。「それでも良い人にだけ貸し出しをする」ということで自分のストレスが減るならそれもアリかと。

そういう方式の場合、やはり練習での定期利用のような方なら「万が一のときは鍵を開けて入ってくださいね。」ということが申し上げやすいです。演奏会でご利用の方にも「セルフでご利用の会場」ということで空調機や照明の説明などは事前の下見でしておりますが、当日やはり再度の確認が必要になりますから。

内館牧子さんの<老害の人>を笑い転げるようにして読んだ後、高齢者三部作とでもいうべき<終わった人><すぐ死ぬんだから><こんど生まれたら>を読みました。老後の生活を色々と考える中で「自分にはプラネットという社会との繋がりを持てる場があって良かった。」と思います。下見に来られる初対面の人たちとお会いするようなことも良い刺激になっていると思いますし、開催される演奏会を私も時々楽しく聴かせていただいたり。亡くなった母が「空間を変えることもストレス解消になる」と言っていたことを思い出しながらスタジオでピアノを弾いたりフルート吹いたりすることも楽しみの一つになっております。
新年を迎えてのスタジオ
2023.01.17
新年を迎えたと思ったら、あっというまに1月も半ばです。今年のスタジオは1月8日(日)大坪氏と細川さんのギター二重奏とウクレレ二重奏でスタート。私も演奏を聴かせていただきました。最後には写真撮影タイムもあってSNSなどに載せるのもOKとのことで来場者の皆さま、スマホで写真を撮るなど和やかで素敵な演奏会でした。今年は2月3月4月とギターでのお申し込みが続いています。スタジオはギターの響きにちょうど良い大きさのように思います。

私のフルートの方は、<幻のデユオ>となったピアノのIさんが、曲の途中からボサノバになるお洒落なアレンジのフルートピアノの楽譜集をプレゼントしてくださって、まずはその中のミステイの合わせ。久々のフルート&ピアノを楽しんでおります。<幻>というのは、彼女のピアノと私のフルートで当時募集中だった伊奈の県民活動センターの春のコンサートに参加したいと彼女が誘ってくださって、オーデイション(録音したもの)で参加できることになったのでしたが、本番前日のリハーサルの帰りに寄ったファミレスであの東日本大震災。車を運転して帰るのに余震で電柱が大きく揺れて怖かった記憶があります。プログラムやチラシも用意されたのですが、翌日の本番の演奏会には参加いたしませんでした。(演奏会そのものは一部の参加者で開催されたようでした)

ピアノのIさんに私からはマイナスワンのCDで吹いて見ていたピアソラの<ブエノスアイレスの夏>をお願いして弾いていただいています。マイナスワンでは<はいりにくい>箇所が多いアレンジのところ、息を合わせてくださるので良い感じ。「冬に<夏>ではねぇ」と言ったら「南半球は夏だからちょうど良いのでは」と言われて「そうだった!」と思いました。「ピアソラのうたいかたの難しいピアノをちゃんと弾けちゃうのだから、Iさんの技量はたいしたもの。」とあらためて思います。リズム音痴の私はボサノバでも危なっかしい箇所があったりで「レッスン料払います。」と言っているぐらいなのですけれど、スタジオのピアノが気に入ってくださって「楽しんで弾いているので十分」と言ってくださるのが有り難いです。


一人で吹いたり、フルート二重奏だったりと生のピアノでは、「もっとたっぷりした音量で吹かなくちゃ」だったりで「ちゃんと日々の練習しなくちゃ。」と思ったり。「下手になっちゃった。」というのはI ’m pretty rusty.というみたい。rustyは金属などが錆びるような意味、日本語でも「腕が錆びつく」というのだから、どこの国でも同じような感覚なのだと思ったりしているところです。
明後日はもう新年!
2022.12.30
2022年も明日一日で終わります。ブログを更新しないまま年を越したくありません。「何を書こうかしら?」と思いながらパソコンに向かっています。

前のブログに27周年ということを書きました。スタジオプラネットのお誕生日ということで7周年目の11月にリコーダーの吉澤先生をお迎えしてリュートとの演奏会をしていただいた時から20年にもなるのだと感慨深く思っております。スタジオを始めたばかりの3年間ぐらいはスタジオも空いて暇にしておりましたので、春と秋に自主企画をしておりました。その後、スタジオは活況で受付や貸し出しに追われて忙しくなり、自主企画は7年目のその演奏会が最後。12月のクリスマスシーズンには予約受付の一ヶ月前の11月1日の0時にFAXやメールでのお申し込みが入ってあっというまに土日のご利用枠が埋まっていたことを懐かしく思い出しています。

コロナ禍で演奏会も減って、また当初の頃のように暇になっておりますが、「これぐらいでちょうど良い。」と思います。振り返ってみて「充分使っていただいてきた。」という思いが大きいです。今後の希望としては定期利用のようなことでのご利用が望ましいと考えております。お客さまを招いて演奏会をするようなことだと、初めて来場される方には場所が分かりにくいことと、三階までの階段がネックになりますから。本来なら定年退職になる年齢を迎えてもこうして主宰できていることを有難いことだと思ったりもいたします。始めた頃にはピアノの発表会などのご利用は歳上の先生方や同世代の方が大半でしたが、今は若い人たち、子供の世代ぐらいの方に世代交代しています。



<昭和、平成、令和>と生きてきた私たちの世代、子供の頃に<明治 大正 昭和>の頃の明治生まれの人たちを思うような感じで、若い人たちからは見られているのでしょうね。文藝春秋100周年新年特大号に内館牧子さんの<集まれ!老害の人>という文章がありました。図書館でその<老害の人>を借りようと予約を入れてみたらさいたま市には15冊あって、順番は632番。順番が回ってくるの二年後ぐらいになりそうで、これはさすがに「買おうかしら」と思っているところです。物を増やしたくないのでここのところ本はもっぱら図書館で借りるかkindleにしています。

先の文藝春秋の巻頭随筆に平野啓一郎さんが「作家と百年」という随筆を書かれているのですが、フィギュアスケートの素晴らしい演技を見たときのような印象。上手に表現できないのがもどかしいのですが、スケートなら自分はすべれないわけだから「素晴らしい!」とひたすら感嘆して見ていれば済むのですが、ブログという同じ<文章を書く>という作業をするのが恥ずかしくなるようなことで。あちらはプロでこちらはド素人だから当然のことだとは思うのですが、あまりにも違うので。(平野啓一郎さんの本はKindleではなく本として手元に置きたいと書店で買い求めております。)

では皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいますように。来年もどうぞよろしくお願いいたします。

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