祝 彩の国 埼玉芸術劇場 30周年
2024.10.16
埼玉芸術劇場は改修工事も終えて今年30周年とのこと。スタジオは来年30周年ですから一年オープンが早かったのですね。与野市長から初代さいたま市長になった伯父が「与野に素晴らしいホールができる。」と誇らしそうに言っていたのが心に残っています。
30周年記念コンサートとして<祝祭のオールバッハプログラム> バッハコレギウムジャパンによる音楽ホールでの素晴らしい演奏会を聴いてきました。それに先立って鈴木雅明氏のレクチャーがあり、チケットを購入した人は無料という特典つきでした。レクチャーは映像室。プロジェクターで投影するスクリーンを用意しなくても映像室ならそのまま投影できるわけですものね。バッハがカンタータ、ミサ曲、管弦楽曲まで多様な曲を残してくれている中からそれぞれ代表的な曲をプログラムに組み込んで選曲したお話、それぞれの解説も素晴らしく、レクチャーのチケット代無料なのが申し訳ない気がいたしました。
本番での演奏会で、管弦楽組曲のG線上のアリアは「その前の楽章で菅の人たちが大変だったのがお休みできるように、これは弦のためのというより管のための楽章とも言えるかもしれない。」と冗談なのか、本当にそう思えてしまうようなお話も。当時のフルートの音色と現代のフルートの音色があまりに違うので、自分が吹くようなバッハのフルートソナタなどは「当時はこういう柔らかな音色で演奏されていたのか」と思ったり。当時の音に近づけたくて、グラナデイラの(黒檀みたいな)楽器を愛用しているのですが、かなり違いました。
芸術劇場は、20年ぐらい前に地元のフルートアンサンブルに入れていただいた時の練習会場だったので、よく通っておりました。そのフルートアンサンブルの発展的解散(?)の演奏会も芸術劇場で2011年に演奏会をするはずだったのが、東北の震災があったので翌年2012年でしたから、もう10年以上前になるのですね。
話飛びますが、芸術劇場でシェークスピアが上演されつづけてきたこともあって、<彩の国 シェークスピアガーデン>ができています。私は実は東御市にあるシェークスピアガーデンを訪ねようとカーナビに入れたけれど探せず、芸術劇場の方がヒットして初めて知りました。とても狭いので、それを目的に遠方から来られるとちょっとがっかりなさるかもしれません。庭に比して綺麗で立派なリーフレットができていて、それを見ているだけでもちょっと楽しい。
庭園ができる前からあったようなカフェに隣接していて、お茶がいただけるようになっているのですが<現金はダメ>というのが珍しいと思いました。クレジットカードがダメで現金のみのようなお店はありますけれど、現金がダメというお店は初めて。でも現金を扱わないとお釣りの用意もしなくてよいし、売上の計算したりしなくて良いしラクそうではあります。
東御市にあるシェークスピアガーデンは八重原シェークスピアガーデン。<八重原シェークスピアガーデン>という花の絵と戯曲からの一節を紹介した素敵な本をAmazonで購入しました。アートビレッジという別荘地のような所で何人かに尋ねたり、明神池そばのお店で尋ねても皆さん知らなくて、お散歩中のご夫妻に持参した本をお見せしたら「この建物だと、あのイングリッシュガーデンじゃないかしら?」ということで、個人の別荘のお庭で私が訪ねたときにはお留守。ひっそりとなさっているようでした。観光地いうわけではないので大挙してこられたりしたらご迷惑なのかもしれないと思ったりいたしました。
30周年記念コンサートとして<祝祭のオールバッハプログラム> バッハコレギウムジャパンによる音楽ホールでの素晴らしい演奏会を聴いてきました。それに先立って鈴木雅明氏のレクチャーがあり、チケットを購入した人は無料という特典つきでした。レクチャーは映像室。プロジェクターで投影するスクリーンを用意しなくても映像室ならそのまま投影できるわけですものね。バッハがカンタータ、ミサ曲、管弦楽曲まで多様な曲を残してくれている中からそれぞれ代表的な曲をプログラムに組み込んで選曲したお話、それぞれの解説も素晴らしく、レクチャーのチケット代無料なのが申し訳ない気がいたしました。
本番での演奏会で、管弦楽組曲のG線上のアリアは「その前の楽章で菅の人たちが大変だったのがお休みできるように、これは弦のためのというより管のための楽章とも言えるかもしれない。」と冗談なのか、本当にそう思えてしまうようなお話も。当時のフルートの音色と現代のフルートの音色があまりに違うので、自分が吹くようなバッハのフルートソナタなどは「当時はこういう柔らかな音色で演奏されていたのか」と思ったり。当時の音に近づけたくて、グラナデイラの(黒檀みたいな)楽器を愛用しているのですが、かなり違いました。
芸術劇場は、20年ぐらい前に地元のフルートアンサンブルに入れていただいた時の練習会場だったので、よく通っておりました。そのフルートアンサンブルの発展的解散(?)の演奏会も芸術劇場で2011年に演奏会をするはずだったのが、東北の震災があったので翌年2012年でしたから、もう10年以上前になるのですね。
話飛びますが、芸術劇場でシェークスピアが上演されつづけてきたこともあって、<彩の国 シェークスピアガーデン>ができています。私は実は東御市にあるシェークスピアガーデンを訪ねようとカーナビに入れたけれど探せず、芸術劇場の方がヒットして初めて知りました。とても狭いので、それを目的に遠方から来られるとちょっとがっかりなさるかもしれません。庭に比して綺麗で立派なリーフレットができていて、それを見ているだけでもちょっと楽しい。
庭園ができる前からあったようなカフェに隣接していて、お茶がいただけるようになっているのですが<現金はダメ>というのが珍しいと思いました。クレジットカードがダメで現金のみのようなお店はありますけれど、現金がダメというお店は初めて。でも現金を扱わないとお釣りの用意もしなくてよいし、売上の計算したりしなくて良いしラクそうではあります。
東御市にあるシェークスピアガーデンは八重原シェークスピアガーデン。<八重原シェークスピアガーデン>という花の絵と戯曲からの一節を紹介した素敵な本をAmazonで購入しました。アートビレッジという別荘地のような所で何人かに尋ねたり、明神池そばのお店で尋ねても皆さん知らなくて、お散歩中のご夫妻に持参した本をお見せしたら「この建物だと、あのイングリッシュガーデンじゃないかしら?」ということで、個人の別荘のお庭で私が訪ねたときにはお留守。ひっそりとなさっているようでした。観光地いうわけではないので大挙してこられたりしたらご迷惑なのかもしれないと思ったりいたしました。
久々の更新 パンフルート手放しました
2024.09.21
前回、ブログを書いたのは4月。もう5ヶ月も経ってしまっていることに我ながらびっくりしています。その間、書きたいことがなかったわけではなくて、書きたいことが次々変わってしまうようなことでした。先日、下見に来てくださった方から「ブログも読んでいます。」と言われて、「あらら、更新しなくっちゃ」と思った次第。
書きたかったことというのは、例えば、ファツィオリ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、シゲルカワイ とたてつづけに色々なピアノの演奏を聴く機会があったこと、ベヒシュタインとベーゼンは、その演奏会場だったサロンについても紹介したいと思ったのでしたし。幼な友達との中禅寺湖への旅行では上皇様ご夫妻がお泊まりになったばかりの中禅寺金谷ホテルに宿泊したこと、チェックアウトして帰ろうとしたら「熊が庭にいますので外に出ないでさい。」室内から見える桜の木に小熊が登って枝にたってサクランボを食べていたことも書こうと思ったのでしたし。
私は熊森協会(https://kumamori.org/)の会員でもあって、熊たちが人里に来なくても生活できる森を守ることがひいては私たち人間社会をも守ることにつながるというコンセプトについても書きたいなどと、色々考えているうちに次の書きたいテーマがでてくるようなことで。最近、山肌が削られてソーラパネルが並んでいたりするような景色を見ると悲しくなります。
きょうは、一番直近の<パンフルートを手放したこと>を書いておこうと思います。30年以上前、桶川に竹林を所有されているお宅にうかがって、竹を取りルーマニアにパンフルートの研鑽に行っているパンフルート奏者の大束さんの所に送って、本場の製作者にパンフルートを作っていただきました。「段ボール箱三箱、キャリーに積んで郵便局に運んだのはもうそんなに昔のことになるのか‥」と感慨深く思ったりいたしました。日本からの荷物ですから何か良いものが入っていると思われたようで三箱のうち一箱しか届かなかったんです。それでも5.6本作っていただくことができたのでした。
当時、シリンクスというパンフルートのアンサンブルにはいっておりました。最初はパンフルートでは出ない音域をフルートで手伝って欲しいということだったのですが、私もパンフルートを吹くようになって、自分で製作したパンフルートも手元にあり、その2本を大束さんに託しました。本場で仕上げたパンフルートは美しく、手放すのが惜しい気もしましたが、もう何年も吹いておりませんでしたから楽器も可愛そう。終活にはいっており身辺整理をぼちぼち始めたところでもあります。
そのシリンクスの練習場所の予約をとりにあちらこちらの公民館に出向いておりました。音楽室では飲食禁止のところが多く、休憩時時間に廊下のようなところで自動販売機の飲み物を飲んでいたりするようなことが、今の<軽い飲食のできるスタジオ>を造ったきっかけの一つになっております。
書きたかったことというのは、例えば、ファツィオリ、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファー、シゲルカワイ とたてつづけに色々なピアノの演奏を聴く機会があったこと、ベヒシュタインとベーゼンは、その演奏会場だったサロンについても紹介したいと思ったのでしたし。幼な友達との中禅寺湖への旅行では上皇様ご夫妻がお泊まりになったばかりの中禅寺金谷ホテルに宿泊したこと、チェックアウトして帰ろうとしたら「熊が庭にいますので外に出ないでさい。」室内から見える桜の木に小熊が登って枝にたってサクランボを食べていたことも書こうと思ったのでしたし。
私は熊森協会(https://kumamori.org/)の会員でもあって、熊たちが人里に来なくても生活できる森を守ることがひいては私たち人間社会をも守ることにつながるというコンセプトについても書きたいなどと、色々考えているうちに次の書きたいテーマがでてくるようなことで。最近、山肌が削られてソーラパネルが並んでいたりするような景色を見ると悲しくなります。
きょうは、一番直近の<パンフルートを手放したこと>を書いておこうと思います。30年以上前、桶川に竹林を所有されているお宅にうかがって、竹を取りルーマニアにパンフルートの研鑽に行っているパンフルート奏者の大束さんの所に送って、本場の製作者にパンフルートを作っていただきました。「段ボール箱三箱、キャリーに積んで郵便局に運んだのはもうそんなに昔のことになるのか‥」と感慨深く思ったりいたしました。日本からの荷物ですから何か良いものが入っていると思われたようで三箱のうち一箱しか届かなかったんです。それでも5.6本作っていただくことができたのでした。
当時、シリンクスというパンフルートのアンサンブルにはいっておりました。最初はパンフルートでは出ない音域をフルートで手伝って欲しいということだったのですが、私もパンフルートを吹くようになって、自分で製作したパンフルートも手元にあり、その2本を大束さんに託しました。本場で仕上げたパンフルートは美しく、手放すのが惜しい気もしましたが、もう何年も吹いておりませんでしたから楽器も可愛そう。終活にはいっており身辺整理をぼちぼち始めたところでもあります。
そのシリンクスの練習場所の予約をとりにあちらこちらの公民館に出向いておりました。音楽室では飲食禁止のところが多く、休憩時時間に廊下のようなところで自動販売機の飲み物を飲んでいたりするようなことが、今の<軽い飲食のできるスタジオ>を造ったきっかけの一つになっております。
Qurio Lockにしておいて良かった
2024.04.27
入り口の鍵をQrio Lockに変えておいて良かった!とホッとしたところです。本日、定期でのご利用があることをうっかり忘れてしまいました。Qurio Lockでは開錠、施錠の都度、スマホに通知があるので「あれ?!」と思って、気がついた次第。年齢のせいにはしたくありませんが、こういう場合に備えて番号をお知らせしているのが活きた最初のケースになりました。
当初考えていたのは、ご利用者の携帯の末尾4桁に設定することでしたが、それだと土日に続けて別の人のご利用が入った場合、土曜日の人が帰ってから日曜ご利用の人の電話番号にセッテイングし直すようなことで、それができるぐらい自分が元気で忘れたりもしていないということは、「自分が貸出できる状況」ですから「万が一のときのために番号をお知らせしておく」という意味がなくなります。‥なので毎月か二ヶ月に一度ぐらいに番号を変えることにしようと思います。
話変わります。昨年の3月31日に旧市民会館近くのグッデイズカフェが閉店して、「23年間ありがとう」の会をしたことをこのブログに書きました。そのオーナーシェフの中野さんが、北浦和駅前のレストラン、ボンドールのシェフになりました。友達からそのことを教えていただき、先日、早速行ってきました。グッデイズカフェで私が好きだったお料理もメニューにあって嬉しかったです。ボンドールはパン屋さんで、2階にレストランがあるのですが、夜の営業をお休みしていたのが中野さんがシェフになって再開なさったのだそうです。グッデイズカフェでライブをしていた頃の経験を活かしてのお食事つき演奏会などもなさっているそうです。
中野さんがお店を閉めた前後から、私も「この先、いつまでスタジオを続けていくのか」ということを考えるようになっています。このスタジオを設計してくださった故N氏が、私の長年の想い(夢)を形にしてくださったので、名称や営業の形態は変わっても、できればこの部屋のまま引き継いでくださる方がいたらと願っております。近くに演奏会用のスペースもいくつかできてきているので、できればお仲間内での練習の場のようなことでのご利用にシフトしていけたらとも思ってみたり。いろいろと検討中。
当初考えていたのは、ご利用者の携帯の末尾4桁に設定することでしたが、それだと土日に続けて別の人のご利用が入った場合、土曜日の人が帰ってから日曜ご利用の人の電話番号にセッテイングし直すようなことで、それができるぐらい自分が元気で忘れたりもしていないということは、「自分が貸出できる状況」ですから「万が一のときのために番号をお知らせしておく」という意味がなくなります。‥なので毎月か二ヶ月に一度ぐらいに番号を変えることにしようと思います。
話変わります。昨年の3月31日に旧市民会館近くのグッデイズカフェが閉店して、「23年間ありがとう」の会をしたことをこのブログに書きました。そのオーナーシェフの中野さんが、北浦和駅前のレストラン、ボンドールのシェフになりました。友達からそのことを教えていただき、先日、早速行ってきました。グッデイズカフェで私が好きだったお料理もメニューにあって嬉しかったです。ボンドールはパン屋さんで、2階にレストランがあるのですが、夜の営業をお休みしていたのが中野さんがシェフになって再開なさったのだそうです。グッデイズカフェでライブをしていた頃の経験を活かしてのお食事つき演奏会などもなさっているそうです。
中野さんがお店を閉めた前後から、私も「この先、いつまでスタジオを続けていくのか」ということを考えるようになっています。このスタジオを設計してくださった故N氏が、私の長年の想い(夢)を形にしてくださったので、名称や営業の形態は変わっても、できればこの部屋のまま引き継いでくださる方がいたらと願っております。近くに演奏会用のスペースもいくつかできてきているので、できればお仲間内での練習の場のようなことでのご利用にシフトしていけたらとも思ってみたり。いろいろと検討中。
2024.10.16 17:38
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