新年を迎えてのスタジオ
2023.01.17
新年を迎えたと思ったら、あっというまに1月も半ばです。今年のスタジオは1月8日(日)大坪氏と細川さんのギター二重奏とウクレレ二重奏でスタート。私も演奏を聴かせていただきました。最後には写真撮影タイムもあってSNSなどに載せるのもOKとのことで来場者の皆さま、スマホで写真を撮るなど和やかで素敵な演奏会でした。今年は2月3月4月とギターでのお申し込みが続いています。スタジオはギターの響きにちょうど良い大きさのように思います。
私のフルートの方は、<幻のデユオ>となったピアノのIさんが、曲の途中からボサノバになるお洒落なアレンジのフルートピアノの楽譜集をプレゼントしてくださって、まずはその中のミステイの合わせ。久々のフルート&ピアノを楽しんでおります。<幻>というのは、彼女のピアノと私のフルートで当時募集中だった伊奈の県民活動センターの春のコンサートに参加したいと彼女が誘ってくださって、オーデイション(録音したもの)で参加できることになったのでしたが、本番前日のリハーサルの帰りに寄ったファミレスであの東日本大震災。車を運転して帰るのに余震で電柱が大きく揺れて怖かった記憶があります。プログラムやチラシも用意されたのですが、翌日の本番の演奏会には参加いたしませんでした。(演奏会そのものは一部の参加者で開催されたようでした)
ピアノのIさんに私からはマイナスワンのCDで吹いて見ていたピアソラの<ブエノスアイレスの夏>をお願いして弾いていただいています。マイナスワンでは<はいりにくい>箇所が多いアレンジのところ、息を合わせてくださるので良い感じ。「冬に<夏>ではねぇ」と言ったら「南半球は夏だからちょうど良いのでは」と言われて「そうだった!」と思いました。「ピアソラのうたいかたの難しいピアノをちゃんと弾けちゃうのだから、Iさんの技量はたいしたもの。」とあらためて思います。リズム音痴の私はボサノバでも危なっかしい箇所があったりで「レッスン料払います。」と言っているぐらいなのですけれど、スタジオのピアノが気に入ってくださって「楽しんで弾いているので十分」と言ってくださるのが有り難いです。
一人で吹いたり、フルート二重奏だったりと生のピアノでは、「もっとたっぷりした音量で吹かなくちゃ」だったりで「ちゃんと日々の練習しなくちゃ。」と思ったり。「下手になっちゃった。」というのはI ’m pretty rusty.というみたい。rustyは金属などが錆びるような意味、日本語でも「腕が錆びつく」というのだから、どこの国でも同じような感覚なのだと思ったりしているところです。
私のフルートの方は、<幻のデユオ>となったピアノのIさんが、曲の途中からボサノバになるお洒落なアレンジのフルートピアノの楽譜集をプレゼントしてくださって、まずはその中のミステイの合わせ。久々のフルート&ピアノを楽しんでおります。<幻>というのは、彼女のピアノと私のフルートで当時募集中だった伊奈の県民活動センターの春のコンサートに参加したいと彼女が誘ってくださって、オーデイション(録音したもの)で参加できることになったのでしたが、本番前日のリハーサルの帰りに寄ったファミレスであの東日本大震災。車を運転して帰るのに余震で電柱が大きく揺れて怖かった記憶があります。プログラムやチラシも用意されたのですが、翌日の本番の演奏会には参加いたしませんでした。(演奏会そのものは一部の参加者で開催されたようでした)
ピアノのIさんに私からはマイナスワンのCDで吹いて見ていたピアソラの<ブエノスアイレスの夏>をお願いして弾いていただいています。マイナスワンでは<はいりにくい>箇所が多いアレンジのところ、息を合わせてくださるので良い感じ。「冬に<夏>ではねぇ」と言ったら「南半球は夏だからちょうど良いのでは」と言われて「そうだった!」と思いました。「ピアソラのうたいかたの難しいピアノをちゃんと弾けちゃうのだから、Iさんの技量はたいしたもの。」とあらためて思います。リズム音痴の私はボサノバでも危なっかしい箇所があったりで「レッスン料払います。」と言っているぐらいなのですけれど、スタジオのピアノが気に入ってくださって「楽しんで弾いているので十分」と言ってくださるのが有り難いです。
一人で吹いたり、フルート二重奏だったりと生のピアノでは、「もっとたっぷりした音量で吹かなくちゃ」だったりで「ちゃんと日々の練習しなくちゃ。」と思ったり。「下手になっちゃった。」というのはI ’m pretty rusty.というみたい。rustyは金属などが錆びるような意味、日本語でも「腕が錆びつく」というのだから、どこの国でも同じような感覚なのだと思ったりしているところです。
明後日はもう新年!
2022.12.30
2022年も明日一日で終わります。ブログを更新しないまま年を越したくありません。「何を書こうかしら?」と思いながらパソコンに向かっています。
前のブログに27周年ということを書きました。スタジオプラネットのお誕生日ということで7周年目の11月にリコーダーの吉澤先生をお迎えしてリュートとの演奏会をしていただいた時から20年にもなるのだと感慨深く思っております。スタジオを始めたばかりの3年間ぐらいはスタジオも空いて暇にしておりましたので、春と秋に自主企画をしておりました。その後、スタジオは活況で受付や貸し出しに追われて忙しくなり、自主企画は7年目のその演奏会が最後。12月のクリスマスシーズンには予約受付の一ヶ月前の11月1日の0時にFAXやメールでのお申し込みが入ってあっというまに土日のご利用枠が埋まっていたことを懐かしく思い出しています。
コロナ禍で演奏会も減って、また当初の頃のように暇になっておりますが、「これぐらいでちょうど良い。」と思います。振り返ってみて「充分使っていただいてきた。」という思いが大きいです。今後の希望としては定期利用のようなことでのご利用が望ましいと考えております。お客さまを招いて演奏会をするようなことだと、初めて来場される方には場所が分かりにくいことと、三階までの階段がネックになりますから。本来なら定年退職になる年齢を迎えてもこうして主宰できていることを有難いことだと思ったりもいたします。始めた頃にはピアノの発表会などのご利用は歳上の先生方や同世代の方が大半でしたが、今は若い人たち、子供の世代ぐらいの方に世代交代しています。
<昭和、平成、令和>と生きてきた私たちの世代、子供の頃に<明治 大正 昭和>の頃の明治生まれの人たちを思うような感じで、若い人たちからは見られているのでしょうね。文藝春秋100周年新年特大号に内館牧子さんの<集まれ!老害の人>という文章がありました。図書館でその<老害の人>を借りようと予約を入れてみたらさいたま市には15冊あって、順番は632番。順番が回ってくるの二年後ぐらいになりそうで、これはさすがに「買おうかしら」と思っているところです。物を増やしたくないのでここのところ本はもっぱら図書館で借りるかkindleにしています。
先の文藝春秋の巻頭随筆に平野啓一郎さんが「作家と百年」という随筆を書かれているのですが、フィギュアスケートの素晴らしい演技を見たときのような印象。上手に表現できないのがもどかしいのですが、スケートなら自分はすべれないわけだから「素晴らしい!」とひたすら感嘆して見ていれば済むのですが、ブログという同じ<文章を書く>という作業をするのが恥ずかしくなるようなことで。あちらはプロでこちらはド素人だから当然のことだとは思うのですが、あまりにも違うので。(平野啓一郎さんの本はKindleではなく本として手元に置きたいと書店で買い求めております。)
では皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいますように。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
前のブログに27周年ということを書きました。スタジオプラネットのお誕生日ということで7周年目の11月にリコーダーの吉澤先生をお迎えしてリュートとの演奏会をしていただいた時から20年にもなるのだと感慨深く思っております。スタジオを始めたばかりの3年間ぐらいはスタジオも空いて暇にしておりましたので、春と秋に自主企画をしておりました。その後、スタジオは活況で受付や貸し出しに追われて忙しくなり、自主企画は7年目のその演奏会が最後。12月のクリスマスシーズンには予約受付の一ヶ月前の11月1日の0時にFAXやメールでのお申し込みが入ってあっというまに土日のご利用枠が埋まっていたことを懐かしく思い出しています。
コロナ禍で演奏会も減って、また当初の頃のように暇になっておりますが、「これぐらいでちょうど良い。」と思います。振り返ってみて「充分使っていただいてきた。」という思いが大きいです。今後の希望としては定期利用のようなことでのご利用が望ましいと考えております。お客さまを招いて演奏会をするようなことだと、初めて来場される方には場所が分かりにくいことと、三階までの階段がネックになりますから。本来なら定年退職になる年齢を迎えてもこうして主宰できていることを有難いことだと思ったりもいたします。始めた頃にはピアノの発表会などのご利用は歳上の先生方や同世代の方が大半でしたが、今は若い人たち、子供の世代ぐらいの方に世代交代しています。
<昭和、平成、令和>と生きてきた私たちの世代、子供の頃に<明治 大正 昭和>の頃の明治生まれの人たちを思うような感じで、若い人たちからは見られているのでしょうね。文藝春秋100周年新年特大号に内館牧子さんの<集まれ!老害の人>という文章がありました。図書館でその<老害の人>を借りようと予約を入れてみたらさいたま市には15冊あって、順番は632番。順番が回ってくるの二年後ぐらいになりそうで、これはさすがに「買おうかしら」と思っているところです。物を増やしたくないのでここのところ本はもっぱら図書館で借りるかkindleにしています。
先の文藝春秋の巻頭随筆に平野啓一郎さんが「作家と百年」という随筆を書かれているのですが、フィギュアスケートの素晴らしい演技を見たときのような印象。上手に表現できないのがもどかしいのですが、スケートなら自分はすべれないわけだから「素晴らしい!」とひたすら感嘆して見ていれば済むのですが、ブログという同じ<文章を書く>という作業をするのが恥ずかしくなるようなことで。あちらはプロでこちらはド素人だから当然のことだとは思うのですが、あまりにも違うので。(平野啓一郎さんの本はKindleではなく本として手元に置きたいと書店で買い求めております。)
では皆さま、どうぞ良いお年をお迎えくださいますように。来年もどうぞよろしくお願いいたします。
この11月で27周年/皆既月食の思い出
2022.11.10
スタジオプラネット、この11月で27周年になります。まだピアノは入っておらず、旧宅を取り壊す前に、旧宅でフラワーアレンジメント展をしていただいたメンバーに、同じようにスタジオでフラワーアレンジメント展をしていただいたのがスタートでした。
今はダンス教室になっている隣の部屋で川越のスペイン亭のオーナーシェフに出張料理に来ていただきお披露目パーテイをいたしました。旧宅を解体するときに差し上げた物があったのでそのお返しにと無償で出張してくださりオープニングに華を添えていただきました。その会場で、「仙台での小中学校、高校からの友達は一人もいない。浦和に来てからの知り合いがこんなに。」と思ったのでした。そのオープニングに来ていただいた大半の人たちとのおつきあい、今では途絶えてしまっております。フラメンコを習っていた頃の友達、大宮の小学校の日本語教室講師をしていた頃の知人たち‥。
その代わりというと変ですが、スタジオを始めたことで出会えた人も多く、特に女子大の地元の同窓会のお仲間にいれていただいたこと、戸田天文同好会に(数年前に退会)入れていただいたことがなかでもとりわけ大きいです。双方ともにスタジオをご利用いただいたことがきっかけ。
数日前に皆既月食があり、浦和の街中でも大勢の人が空を見上げてスマホで写真を撮っていました。私は天文同好会の人のお誘いですばる望遠鏡を見学するツアーに参加、ハワイ島の山の中腹で皆既月食を観望したことがあります。天文同好会に入ったのは「地平線から地平線までの満天の星空を見上げると人生観が変わる」と言われてオーストラリアのパースへの遠征に参加したのがきっかけ。確かにオーストラリアで見上げた満天の星空は素晴らしかったですが、ハワイ島での月食観望はそれ以上だったかもしれないと思います。
月が地球の影で隠れ始めると、月の周囲には星が見えるようになり、赤く染まった月を見上げながら、周囲は漆黒の闇につつまれます。天体写真を撮影している人たちの邪魔にならないように離れたところで観望していましたが、誰がどこにいるのわからないぐらい。文字通り<鼻をつままれてもわからない真っ暗闇>しばらくして満月に戻ると周囲は明るさを取り戻します。昔の人が夜道を歩くのに月明かりを頼りにしたようなことや<立ち待ち月/寝待ち月>と呼ばれていたのが納得の月の明るさでした。都会で見上げる月食、赤い月はたしかに幻想的ですが街明かりの中で見上げるのですから、あの強烈な月の印象はありません。あの時の凍えるような寒さとともに思い出したりいたします。
スタジオでの数々の素敵な演奏会も宝物のような思い出ですが、ハワイ島での月食観望もスタジオをしていればこそ体験できたことのように感慨深く思うこの頃です。
今はダンス教室になっている隣の部屋で川越のスペイン亭のオーナーシェフに出張料理に来ていただきお披露目パーテイをいたしました。旧宅を解体するときに差し上げた物があったのでそのお返しにと無償で出張してくださりオープニングに華を添えていただきました。その会場で、「仙台での小中学校、高校からの友達は一人もいない。浦和に来てからの知り合いがこんなに。」と思ったのでした。そのオープニングに来ていただいた大半の人たちとのおつきあい、今では途絶えてしまっております。フラメンコを習っていた頃の友達、大宮の小学校の日本語教室講師をしていた頃の知人たち‥。
その代わりというと変ですが、スタジオを始めたことで出会えた人も多く、特に女子大の地元の同窓会のお仲間にいれていただいたこと、戸田天文同好会に(数年前に退会)入れていただいたことがなかでもとりわけ大きいです。双方ともにスタジオをご利用いただいたことがきっかけ。
数日前に皆既月食があり、浦和の街中でも大勢の人が空を見上げてスマホで写真を撮っていました。私は天文同好会の人のお誘いですばる望遠鏡を見学するツアーに参加、ハワイ島の山の中腹で皆既月食を観望したことがあります。天文同好会に入ったのは「地平線から地平線までの満天の星空を見上げると人生観が変わる」と言われてオーストラリアのパースへの遠征に参加したのがきっかけ。確かにオーストラリアで見上げた満天の星空は素晴らしかったですが、ハワイ島での月食観望はそれ以上だったかもしれないと思います。
月が地球の影で隠れ始めると、月の周囲には星が見えるようになり、赤く染まった月を見上げながら、周囲は漆黒の闇につつまれます。天体写真を撮影している人たちの邪魔にならないように離れたところで観望していましたが、誰がどこにいるのわからないぐらい。文字通り<鼻をつままれてもわからない真っ暗闇>しばらくして満月に戻ると周囲は明るさを取り戻します。昔の人が夜道を歩くのに月明かりを頼りにしたようなことや<立ち待ち月/寝待ち月>と呼ばれていたのが納得の月の明るさでした。都会で見上げる月食、赤い月はたしかに幻想的ですが街明かりの中で見上げるのですから、あの強烈な月の印象はありません。あの時の凍えるような寒さとともに思い出したりいたします。
スタジオでの数々の素敵な演奏会も宝物のような思い出ですが、ハワイ島での月食観望もスタジオをしていればこそ体験できたことのように感慨深く思うこの頃です。