スタジオの当初からを振り返って
2021.04.21
ここ数日、スタジオを始めてからの資料をスキャンしてevernoteに保存。30年近く前の資料をながめながらいろいろ感慨に浸っております。
スタジオを始める前の資料も昨日スキャンして処分。当初、ピアノで有名な大手楽器メーカー二社に図面を依頼、その時に施工例として他の4箇所のスタジオの写真などをいただきました。「どうなさっているかしら?」とネットで検索してみたのですが、4箇所とも見当たりません。当時、企業はこういう維持管理にお金がかかるようなことから、例えば会員を募ってハイキングに出かけるようなお金のかからないものにシフトしていると言われたことを思い出します。
ヤマハでお勧めの資料には車一台分ぐらいの高価な照明機材、プロジェクターやスクリーンがありました。「それらを備え付けても使うことはなかっただろう」と思います。‥というのか、最初は多目的な空間を考えており、最初に作ったリーフレットには「パーテイにも」というような言葉を入れてあったのをホワイトマーカーで消したのでしたから。知人の紹介でスタインウエイのピアノを入れることが決まった頃から<音楽専用>と方針が定まりました。それで正解だったと思います。
「カラオケスタジオですか?」みたいに趣旨を理解してくださる人が少なかったのですが、お友達のご主人の設計士さんがコンセプトを理解してくださって「そういう空間って無かった。無いからこそ造りましょう。」と言ってくださって、私の思い通りのものを形にしてくださいました。その設計士さんはスタジオが完成して2年後に40代の若さで亡くなりました。今でも時々スタジオで「Nさんのおかげです!」とアチラの世界に居ても気持ちが伝わるかもしれないと思って独り言を言ったりしています。郊外型の大きな店舗の設計などを手がけている方でしたがプラネットを手がけて「家業を継がずに設計士を志した当初の情熱を思い出しました。楽しい仕事でした。」と言われたことが心に残っています。
録音機材も、当時はカセットとMDとDATがあって絞り込めなくて、結局「録音機材はお持ち込みで」ということにしたことも正解だったと振り返ってみて思ったりしております。ちょうど通話だけができる携帯電話が出回り始めた頃でした。キャリアによってはスタジオの中で繋がらなくて窓際に行って窓を開けて‥なんていうことがあったのを隔世の感で思い出します。今の子供達は最初からスマホがある暮らしですものね。私たちの世代は本当に変化に富んだ時代を生きてきたものだと思います。子供の頃、家に電話がなくて隣の家の電話を借りに行ったりしていたなんて、なんだか笑い話みたい。
前の記事に書いた司牡丹の酒道/黒金流のzoomでの質疑応答:懇談会の初回が今週末にあります。スタジオは「時間空間を共にして初めて出会える」つまり昨日と今日と1日違っても出会えないわけですし、いろいろな想いをこめてPLANETと名付けたのでしたが、ZOOMなどで<空間>は共にしなくても共に過ごせる時代になったと思います。
いろいろ振り返りながら「ここまでは良かったけれど、コロナ禍で今後はどうしたものかしら?」と思います。<引き寄せの法則>を信じているので自分なりの方向性が定まれば、そちらの方向に進めると思うのですが、イマイチ先が見通せない感じです。スタジオを始める前、10年近く構想をあたためていたのでしたから、これから10年で同じ気持ちでスタジオを続けてくださる後継者と出会えたら嬉しいと思ってみたりしているところです。
スタジオを始める前の資料も昨日スキャンして処分。当初、ピアノで有名な大手楽器メーカー二社に図面を依頼、その時に施工例として他の4箇所のスタジオの写真などをいただきました。「どうなさっているかしら?」とネットで検索してみたのですが、4箇所とも見当たりません。当時、企業はこういう維持管理にお金がかかるようなことから、例えば会員を募ってハイキングに出かけるようなお金のかからないものにシフトしていると言われたことを思い出します。
ヤマハでお勧めの資料には車一台分ぐらいの高価な照明機材、プロジェクターやスクリーンがありました。「それらを備え付けても使うことはなかっただろう」と思います。‥というのか、最初は多目的な空間を考えており、最初に作ったリーフレットには「パーテイにも」というような言葉を入れてあったのをホワイトマーカーで消したのでしたから。知人の紹介でスタインウエイのピアノを入れることが決まった頃から<音楽専用>と方針が定まりました。それで正解だったと思います。
「カラオケスタジオですか?」みたいに趣旨を理解してくださる人が少なかったのですが、お友達のご主人の設計士さんがコンセプトを理解してくださって「そういう空間って無かった。無いからこそ造りましょう。」と言ってくださって、私の思い通りのものを形にしてくださいました。その設計士さんはスタジオが完成して2年後に40代の若さで亡くなりました。今でも時々スタジオで「Nさんのおかげです!」とアチラの世界に居ても気持ちが伝わるかもしれないと思って独り言を言ったりしています。郊外型の大きな店舗の設計などを手がけている方でしたがプラネットを手がけて「家業を継がずに設計士を志した当初の情熱を思い出しました。楽しい仕事でした。」と言われたことが心に残っています。
録音機材も、当時はカセットとMDとDATがあって絞り込めなくて、結局「録音機材はお持ち込みで」ということにしたことも正解だったと振り返ってみて思ったりしております。ちょうど通話だけができる携帯電話が出回り始めた頃でした。キャリアによってはスタジオの中で繋がらなくて窓際に行って窓を開けて‥なんていうことがあったのを隔世の感で思い出します。今の子供達は最初からスマホがある暮らしですものね。私たちの世代は本当に変化に富んだ時代を生きてきたものだと思います。子供の頃、家に電話がなくて隣の家の電話を借りに行ったりしていたなんて、なんだか笑い話みたい。
前の記事に書いた司牡丹の酒道/黒金流のzoomでの質疑応答:懇談会の初回が今週末にあります。スタジオは「時間空間を共にして初めて出会える」つまり昨日と今日と1日違っても出会えないわけですし、いろいろな想いをこめてPLANETと名付けたのでしたが、ZOOMなどで<空間>は共にしなくても共に過ごせる時代になったと思います。
いろいろ振り返りながら「ここまでは良かったけれど、コロナ禍で今後はどうしたものかしら?」と思います。<引き寄せの法則>を信じているので自分なりの方向性が定まれば、そちらの方向に進めると思うのですが、イマイチ先が見通せない感じです。スタジオを始める前、10年近く構想をあたためていたのでしたから、これから10年で同じ気持ちでスタジオを続けてくださる後継者と出会えたら嬉しいと思ってみたりしているところです。
2021.04.21 08:04
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日本酒の話題
2021.03.30
2ヶ月半にわたる緊急事態宣言ようやく解除されましたが、第4派になりそうな懸念があって、ひきつづきマスクと消毒が欠かせない生活がつづきます。そんな中ですが、京都に行ってきました。
伏見で十石船に乗ったら、両岸の桜が満開でそれはそれは美しい眺め。桜の時期にはたとえ料金が倍額だったとしても乗る価値があると思いました。逆にこの時期に乗ってしまうと他の季節には物足りなく思えてしまいそうです。浦和の見沼の通船堀と同じ仕組みの水の高低差を変える水門(最近復元したもの)があって、そこで一度下船して資料館を見て迎えの船に乗って戻るようになっています。十人ずつ左右に分かれて背中合わせに座って両岸を見ながら往復します。二十人乗りの船の船尾の席だったので左右だけでなく後ろの桜のトンネルの眺めも見えてラッキーでした。
伏見では黄桜や月桂冠などの酒蔵が並んでいます。伏見夢百衆という大正時代に建造された月桂冠の旧本社建物を利用して作られたカフェで<利き酒>をしているということで予約。利き酒は私たちが行った日には(日によって違うのかと思うのですが)まず<伏見港>というお酒を少しいただいて、その後にABCDと四種のお酒を出していただいた中からどれが伏見港か当てるというものでした。AとBが違うというのはわかったのだけれど、CとDで迷って主人はD私はCと別々の答えにして主人が正解。当てた人には地元の商店街の1000円の商品券がいただけたので1000円の桜の羊羹を(消費税分80円足して)地元の和菓子屋さんで購入してきました。
伏見夢百衆で利き酒を終えたあと、14種類のお酒が置いてあって、45分間飲み放題1000円。(ネットで見ると60分16種類1500円になっています)お隣のテーブルのご年配の方が「ここは酒飲みには天国ですなぁ」と(酔って)真っ赤な顔で嬉しそうに言っていました。私はお酒よりも添えてあるお水が美味しくて何倍もおかわりをしてしまいました。伏見は伏水だったとかで何しろ水が美味しいです。秀吉の茶会にも使われたのだそう。
私が日本酒に目覚めた(?)のはスタジオを始めてからのこと。スタジオの上のマンションに地元の酒屋さんのご長男が住んでいて、友達の企画で<日本酒を楽しむ会>をしたことがあって、それまでは大吟醸とか山廃仕込みとか何もわからずにいたのが(今も決して詳しいとは言えませんが)そこで解説を聞いたり飲み比べたり。企画した友人はスタジオのオープニングの司会をしてくれた人で「昔は、巫女がお米を噛んでお酒をつくっていたのよ」と話してくれて「知らなかった〜」と思ったりしました。
当時彼女は<大人が美味しくお酒を飲めるお店を持ちたい>と話していたのに英国に定住することになったので実現しませんでした。一時帰国した時に一升瓶持ち帰ったりしていました。当時はまだ機内にお酒(液体)持ち込むのも大丈夫でした。時代も変わりましたよね。<相棒>にでてくる<花の里>のような行きつけのお店があって、疲れた時など一人で気軽に「何か美味しいもの食べさせて〜」と笑顔の素敵な女将がいるお店があったらと憧れたりしていました。彼女ならできそうだったのにとちょっと残念。
このたび司牡丹の代取が始められた<酒道 黒金流>というのに入門することになったので、日本酒のことも書いておこうと思った次第。人と人との繋がりが希薄になってきている/地方色が薄れてきていることなど思いに共感するところが多々あって入門することにいたしました。特典がいろいろある中で、ZOOMで直接 代取の竹村氏に質疑応答したり、他の愛好家の方々との懇談会もあり、楽しみにしているところです。
伏見で十石船に乗ったら、両岸の桜が満開でそれはそれは美しい眺め。桜の時期にはたとえ料金が倍額だったとしても乗る価値があると思いました。逆にこの時期に乗ってしまうと他の季節には物足りなく思えてしまいそうです。浦和の見沼の通船堀と同じ仕組みの水の高低差を変える水門(最近復元したもの)があって、そこで一度下船して資料館を見て迎えの船に乗って戻るようになっています。十人ずつ左右に分かれて背中合わせに座って両岸を見ながら往復します。二十人乗りの船の船尾の席だったので左右だけでなく後ろの桜のトンネルの眺めも見えてラッキーでした。
伏見では黄桜や月桂冠などの酒蔵が並んでいます。伏見夢百衆という大正時代に建造された月桂冠の旧本社建物を利用して作られたカフェで<利き酒>をしているということで予約。利き酒は私たちが行った日には(日によって違うのかと思うのですが)まず<伏見港>というお酒を少しいただいて、その後にABCDと四種のお酒を出していただいた中からどれが伏見港か当てるというものでした。AとBが違うというのはわかったのだけれど、CとDで迷って主人はD私はCと別々の答えにして主人が正解。当てた人には地元の商店街の1000円の商品券がいただけたので1000円の桜の羊羹を(消費税分80円足して)地元の和菓子屋さんで購入してきました。
伏見夢百衆で利き酒を終えたあと、14種類のお酒が置いてあって、45分間飲み放題1000円。(ネットで見ると60分16種類1500円になっています)お隣のテーブルのご年配の方が「ここは酒飲みには天国ですなぁ」と(酔って)真っ赤な顔で嬉しそうに言っていました。私はお酒よりも添えてあるお水が美味しくて何倍もおかわりをしてしまいました。伏見は伏水だったとかで何しろ水が美味しいです。秀吉の茶会にも使われたのだそう。
私が日本酒に目覚めた(?)のはスタジオを始めてからのこと。スタジオの上のマンションに地元の酒屋さんのご長男が住んでいて、友達の企画で<日本酒を楽しむ会>をしたことがあって、それまでは大吟醸とか山廃仕込みとか何もわからずにいたのが(今も決して詳しいとは言えませんが)そこで解説を聞いたり飲み比べたり。企画した友人はスタジオのオープニングの司会をしてくれた人で「昔は、巫女がお米を噛んでお酒をつくっていたのよ」と話してくれて「知らなかった〜」と思ったりしました。
当時彼女は<大人が美味しくお酒を飲めるお店を持ちたい>と話していたのに英国に定住することになったので実現しませんでした。一時帰国した時に一升瓶持ち帰ったりしていました。当時はまだ機内にお酒(液体)持ち込むのも大丈夫でした。時代も変わりましたよね。<相棒>にでてくる<花の里>のような行きつけのお店があって、疲れた時など一人で気軽に「何か美味しいもの食べさせて〜」と笑顔の素敵な女将がいるお店があったらと憧れたりしていました。彼女ならできそうだったのにとちょっと残念。
このたび司牡丹の代取が始められた<酒道 黒金流>というのに入門することになったので、日本酒のことも書いておこうと思った次第。人と人との繋がりが希薄になってきている/地方色が薄れてきていることなど思いに共感するところが多々あって入門することにいたしました。特典がいろいろある中で、ZOOMで直接 代取の竹村氏に質疑応答したり、他の愛好家の方々との懇談会もあり、楽しみにしているところです。
浦和の市民会館
2021.02.13
浦和市民会館ではなく正式名称は<さいたま市民会館うらわ>というのだということを今頃になって知りました。さいたま市になってから大宮市民会館他と紛らわしくなったからなのでしょうね。3月末で閉館、入り口にはカウントダウンの「あと何日」という表示があり、一階ロビーでは「ありがとう50年/思い出の市民会館うらわ展」ということで昭和44年の起工式、昭和46年の落成式などの写真が展示されています。
2月11日に、ギターの飯泉氏とバイオリンの専光市によるタンゴの演奏会を8階のコンサート室で聞いてきました。今回で19回なのだそう。市民会館閉鎖やコロナ禍であることを考慮して、「当分演奏活動は休止になるけれど、再開することが決まったらお知らせします、それまで皆さんコロナにかからないように気をつけてお元気で!」と結ばれていました。このコンサート室では私自身もフルートアンサンブルの演奏会があったり、いろいろ思い出があります。
飯泉氏は浦和にお住まいのタンゴやチャランゴ、ポルトガルのファドにつかわれるポルギの演奏家。昨年3月に埼玉会館でピアソラの映写会が2日間あって、2日目に飯泉氏のギター演奏があるというのでギタリストのお友達を誘って聴きにいく約束をしていたのですが、1日目は上映したのに2日目からコロナで休止になったのでした。いつだったのか?と調べてみたら2月28日でした。グループラインで<埼玉芸術劇場で3月にピアソラの映画の上映があること>を知ってホームページ見てみたら、今回も飯泉氏の演奏が一回だけあるようです。見逃した映画なので見たいですが、映画のお部屋って締め切っていますからちょっと心配。見に(聞きに)行こうかどうしようか迷っているところです。
緊急事態宣言中とはいっても、スタジオ前の商店街は人通り多く、いつも通り。伊勢丹の駐車場待ちの車の列もずらりと繋がっています。スタジオは定期利用以外のご利用はなくて開店休業状態。公民館が閉鎖になって従兄弟の長男が教えている空手教室ができなくなってしまって、入会したばかりの子もいて場所探しに苦慮しているということで水曜日の夜、緊急事態宣言がおわるまで数回に限って無償提供することになりました。稽古着をきた可愛いお子さんたちがスタジオに出入りしていますが、「プラネットは貸し出し先がなくて行き詰まって、ついに空手にまで貸すようになったのね。」と思われても困るのでブログに書いておこうと思った次第。先日見学していたら、小さいお子さんたちの真剣な演武、とても愛らしく微笑ましかったです。
開店休業状態で「こんな時期に新規申し込みもなさそう」と留守番電話のチェックをしていなかったら、10日前にご連絡くださった方がいて平身低頭してお詫び、留守電も「緊急事態宣言につき休業中。御用の方はホームページからメールでお願いします。」などと録音しなおそうかと思ったりしているところです。お問い合わせいただいた方に「部屋の図面はホームページに出ています」と申し上げながら、「ブログの更新もとどこおったままだった」と思い出して書いている次第。
2月11日に、ギターの飯泉氏とバイオリンの専光市によるタンゴの演奏会を8階のコンサート室で聞いてきました。今回で19回なのだそう。市民会館閉鎖やコロナ禍であることを考慮して、「当分演奏活動は休止になるけれど、再開することが決まったらお知らせします、それまで皆さんコロナにかからないように気をつけてお元気で!」と結ばれていました。このコンサート室では私自身もフルートアンサンブルの演奏会があったり、いろいろ思い出があります。
飯泉氏は浦和にお住まいのタンゴやチャランゴ、ポルトガルのファドにつかわれるポルギの演奏家。昨年3月に埼玉会館でピアソラの映写会が2日間あって、2日目に飯泉氏のギター演奏があるというのでギタリストのお友達を誘って聴きにいく約束をしていたのですが、1日目は上映したのに2日目からコロナで休止になったのでした。いつだったのか?と調べてみたら2月28日でした。グループラインで<埼玉芸術劇場で3月にピアソラの映画の上映があること>を知ってホームページ見てみたら、今回も飯泉氏の演奏が一回だけあるようです。見逃した映画なので見たいですが、映画のお部屋って締め切っていますからちょっと心配。見に(聞きに)行こうかどうしようか迷っているところです。
緊急事態宣言中とはいっても、スタジオ前の商店街は人通り多く、いつも通り。伊勢丹の駐車場待ちの車の列もずらりと繋がっています。スタジオは定期利用以外のご利用はなくて開店休業状態。公民館が閉鎖になって従兄弟の長男が教えている空手教室ができなくなってしまって、入会したばかりの子もいて場所探しに苦慮しているということで水曜日の夜、緊急事態宣言がおわるまで数回に限って無償提供することになりました。稽古着をきた可愛いお子さんたちがスタジオに出入りしていますが、「プラネットは貸し出し先がなくて行き詰まって、ついに空手にまで貸すようになったのね。」と思われても困るのでブログに書いておこうと思った次第。先日見学していたら、小さいお子さんたちの真剣な演武、とても愛らしく微笑ましかったです。
開店休業状態で「こんな時期に新規申し込みもなさそう」と留守番電話のチェックをしていなかったら、10日前にご連絡くださった方がいて平身低頭してお詫び、留守電も「緊急事態宣言につき休業中。御用の方はホームページからメールでお願いします。」などと録音しなおそうかと思ったりしているところです。お問い合わせいただいた方に「部屋の図面はホームページに出ています」と申し上げながら、「ブログの更新もとどこおったままだった」と思い出して書いている次第。