近況
2021.06.30
月に一度ぐらいはブログを更新しようと思いながら、あっというまに時間が流れていきます。スタジオの利用頻度は減っていますが、もともと脚の具合が悪くなったときに、調律師さんに貸し出しの代行をお願いしたことで、貸し出しのペースを大幅に減らしておりました。脚の状態がちょっと改善したのでまた元のような貸し出しをぼちぼち再開し始めたところにコロナ騒動。ご利用が大幅に減っているのはコロナのせいばかりでもありません。年齢的に定年退職するような年でもありますから、「世間の人が退職したら週に1.2度出社するようなペース」と同じようで「今の私にはこれぐらいでちょうど良いのかもしれない。」と思ったりしているところです。

スキーをしたりフラメンコまで踊っていたような私が足に異変を感じ変形性股関節症と診断されたのは何年前になるのかしら? <人工関節にしない保存療法>で診てくださるという石和(山梨)の富士温泉病院に月に一度ぐらいのペースで診察とリハビリに通っておりました。富士温泉病院が昨年初めのクルーズ船のコロナ患者の受け入れを始めた最初の病院だったことをかなり後になって知りました。私は昨年の1月に行ったきり「コロナ患者受け入れの病院になった」という話を聞いて「敢えて今行かなくても。コロナが終息してから。」と思って予定していた検診をキャンセルしました。昨年暮れに(手術が主流の中で)保存療法で診てくださる稀有なお医者様ということで全国の患者さんから慕われていた富士温泉病院の矢野先生が突然亡くなられてしまい、患者の私たちは呆然。


昨年のクルーズ船のコロナ騒ぎの頃は「まぁ、お気の毒」と思いながらニュース見ておりました。最初の緊急事態宣言でゴールデンウイークまで我慢すれば夏ぐらいには良くなるのかと思ったのでしたが、一年経ってもこんな状態とは予想もしませんでしたよね。オリンピックも一年延期すればなんとか穏便に開催できるのかと思ったのでしたが、今は「オリンピック後に日本はどうなっているのだろうか?」とハラハラしながら過ごすような日々です。


股関節症の方は某トレーニングジムから独立なさった良いパーソナルトレーナーをご紹介していただいて、富士温泉病院の理学療法士さん並みの指導をうけることができるようになってラッキー。一度は暇にしているスタジオプラネットに来ていただいて床にマットを敷いて指導を受けました。「大きな鏡があっていいですね。ご家庭の姿見だとこんなに映らないですから。」それ以来、家でかさばっていたバランスボールはスタジオにそのまま置いてあって、スタジオに行くとピアノを弾いたりフルート吹いたりする前後に、教えていただいた運動をしてみております。


股関節症のリハビリということで(ウマ年に)始めた乗馬も続けていて、当初、越生の乗馬倶楽部に通っておりましたが、今は伊豆下田乗馬倶楽部に月に1度ぐらいですが通っています。こちらはセンタードライデイングという<人にも馬にも優しい乗り方>でレッスンしてくださるのが大きなポイント。南伊豆の自然の中でキジの鳴き声を聞いたり時には姿を見たり。東京駅からの踊り子号への乗り換えは浦和からの列車が着く同じホームなので一度乗り換えるだけですから便利。往復に時間はかかりますが、以前は読書タイム、今はNetflixでダウンロードした映画やドラマをi-padで見ながら通っています。日頃なかなかまとまった時間とれないのでこれはこれでヨシと思うようになりました。首都圏から通っている人が多くて、中でも埼玉県組が一番多いです。秩父から通っている人がいたのも私が会員になる決め手になりました。それだけ魅力のある内容のレッスンと雰囲気ということだと思います。


そんなこんなで日々暮らしております。皆様もどうぞ気をつけてお過ごしくださいますように。
ピアノオンラインレッスン
2021.05.08
大阪でピアノを教えている友達がコロナ禍でオンラインレッスンを始めました。離れていてもレッスン受けられるわけですし、3月から月に2回ぐらいのペースでレッスンしていただいています。ラインの近況報告のようなことでのつながりから画面越しにでも会えるようになって嬉しく思っているところです。

彼女は小学校4年生の時に仙台の小学校に転入してきて、卒業と同時に関西に転出。5年6年は別のクラスだったのに仲良しでいられたのは、家が近くてよく一緒に遊んでいたから。当時、少女漫画の<りぼん><なかよし>というのがあって付録についてきた便箋や封筒を大事にとってあったのだけれど、転出していった彼女との文通にだけ、その大切な便箋で手紙を書いておりました。大阪万博には声をかけていただいて数日泊めていただいたり、何年に一度か会ってきました。東日本大震災の後に「会いたい人には会っておこう」と大阪に会いに行ったとき「人生の最初の頃に、こんなにも素晴らしい人と出会っていたのだ。」と気がついたようなことでした。

私はピアノは小学校2年生で習い初めて、ツエルニー30番ぐらいで、引っ越したのを機にレッスン終了。‥というのかいき詰まって弾けなくなっておりました。その後も大人になって何度か習ってみたものの続きませんでした。今回、「もっと早くに彼女から習えていたら。」と思いました。「子供の頃に彼女のような先生に出会っていたらピアノも落ちこぼれなかったかもしれない」と思ったり。彼女の話だと「経験を重ねてきた今だから、この教え方になっている」とのこと。

小学校の時「こんなふうに弾くようにと教わった」と机の上で弾くまねをしてみせる彼女を見て「私はそんなこと教わっていない。ちゃんとした教え方じゃないのかもしれない。」と思ったことが印象にのこっています。笑い話みたいですが、ピアノ習い始めた頃、買ってもらったのは足踏みオルガンでした。同じ鍵盤楽器とはいえタッチもなにもあったものじゃありません。最初の発表会のあとに母が「オルガンじゃだめ。」と気がついたとのことで、ピアノを買ってもらいました。そのピアノはスタジオを始めたときに知人のお嬢さんに差し上げました。

今回、アップライトの自動演奏のピアノを自宅用に予約。昨年暮れに申し込んで納入は秋の予定です。「スタインウエイの自動演奏のピアノが出た」ということを知って、「スタジオのご利用も減ってしまったし、演奏会で生の演奏を聴く機会もコロナ禍で無くなってしまったし、この際、自動演奏のピアノに入れ替えて往年の著名な演奏家のピアノ演奏を聴けたら良いかもしれない。」と思ったことがきっかけ。それからいろいろな人の意見を聞きました。それだったらオーデイオの良いのを揃えた方が、性能のよいケーブルに変えるだけでも全然違うというマニアックな人の意見もあったり。自動演奏のピアノについては書き始めると長くなるので、またの機会に。
スタジオの当初からを振り返って
2021.04.21
ここ数日、スタジオを始めてからの資料をスキャンしてevernoteに保存。30年近く前の資料をながめながらいろいろ感慨に浸っております。

スタジオを始める前の資料も昨日スキャンして処分。当初、ピアノで有名な大手楽器メーカー二社に図面を依頼、その時に施工例として他の4箇所のスタジオの写真などをいただきました。「どうなさっているかしら?」とネットで検索してみたのですが、4箇所とも見当たりません。当時、企業はこういう維持管理にお金がかかるようなことから、例えば会員を募ってハイキングに出かけるようなお金のかからないものにシフトしていると言われたことを思い出します。

ヤマハでお勧めの資料には車一台分ぐらいの高価な照明機材、プロジェクターやスクリーンがありました。「それらを備え付けても使うことはなかっただろう」と思います。‥というのか、最初は多目的な空間を考えており、最初に作ったリーフレットには「パーテイにも」というような言葉を入れてあったのをホワイトマーカーで消したのでしたから。知人の紹介でスタインウエイのピアノを入れることが決まった頃から<音楽専用>と方針が定まりました。それで正解だったと思います。

「カラオケスタジオですか?」みたいに趣旨を理解してくださる人が少なかったのですが、お友達のご主人の設計士さんがコンセプトを理解してくださって「そういう空間って無かった。無いからこそ造りましょう。」と言ってくださって、私の思い通りのものを形にしてくださいました。その設計士さんはスタジオが完成して2年後に40代の若さで亡くなりました。今でも時々スタジオで「Nさんのおかげです!」とアチラの世界に居ても気持ちが伝わるかもしれないと思って独り言を言ったりしています。郊外型の大きな店舗の設計などを手がけている方でしたがプラネットを手がけて「家業を継がずに設計士を志した当初の情熱を思い出しました。楽しい仕事でした。」と言われたことが心に残っています。

録音機材も、当時はカセットとMDとDATがあって絞り込めなくて、結局「録音機材はお持ち込みで」ということにしたことも正解だったと振り返ってみて思ったりしております。ちょうど通話だけができる携帯電話が出回り始めた頃でした。キャリアによってはスタジオの中で繋がらなくて窓際に行って窓を開けて‥なんていうことがあったのを隔世の感で思い出します。今の子供達は最初からスマホがある暮らしですものね。私たちの世代は本当に変化に富んだ時代を生きてきたものだと思います。子供の頃、家に電話がなくて隣の家の電話を借りに行ったりしていたなんて、なんだか笑い話みたい。

前の記事に書いた司牡丹の酒道/黒金流のzoomでの質疑応答:懇談会の初回が今週末にあります。スタジオは「時間空間を共にして初めて出会える」つまり昨日と今日と1日違っても出会えないわけですし、いろいろな想いをこめてPLANETと名付けたのでしたが、ZOOMなどで<空間>は共にしなくても共に過ごせる時代になったと思います。

いろいろ振り返りながら「ここまでは良かったけれど、コロナ禍で今後はどうしたものかしら?」と思います。<引き寄せの法則>を信じているので自分なりの方向性が定まれば、そちらの方向に進めると思うのですが、イマイチ先が見通せない感じです。スタジオを始める前、10年近く構想をあたためていたのでしたから、これから10年で同じ気持ちでスタジオを続けてくださる後継者と出会えたら嬉しいと思ってみたりしているところです。

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