浦和駅西口の再開発はじまりました。
2022.04.19
浦和駅西口の大規模な再開発の区域の解体工事が始まりました。先日、鵞毛堂 などがある通りを通ったときには車は通行止めにして、引越し業者のトラックがずらり並んで各商店や医院の荷物の搬出をしていましたが、数日前にはその道路を始めとして、再開発区域内は全域立ち入り禁止になっておりました。

先日、岸町にお住まいの友人に会ったら「道が無くなって不便。駅の東口側に出るようかもしれない。」とのこと。お住まいから駅方面をみると、これまでは商店の灯りで明るかったエリアが真っ暗なのだそう。建設が終わるのは4年後ぐらいになるようです。

市役所移転の話もあって、先日、市のZOOMでの説明会に参加しました。市長の説明に市民から「新しく移る場所は三菱で汚染された土地だったようだがどうなのか?」というような質問があったり。現在の市役所は区役所として残るのだけれど建て替えになるような話。お金かけて耐震工事したばかりのはずなのに‥と思ったりいたします。浦和もいろいろ様変わりしますね。

スタジオのホームページは4月改定する予定でしたが、諸般の事情により6月と遅れることになりました。4月1日にWI-FI設置してYOU-TUBEを見たりラインをしたりのようなことでは問題なかったのですが、先日、スカイプとZOOMでは電波の状態が悪くてダメ。近々、診ていただくことになっています。10年も前に英国の友達と最初にスカイプを使って話していた頃を思い出しました。ロボットみたいなギクシャクした動きになったり、フリーズしたりで使い物になりません。「wi-fiつかえます」とはとても言えない状況です。解消しますように!

今週の土曜日、定期利用いただいている方がコロナ感染とのことでご利用無しになってしまいました。コロナ感染者減ってきたとはいうものの、まだまだ油断できませんね。スタジオもせっかく飲食できるバーカウンターを備えていて、ワインをはじめとするドリンク付きの演奏会で喜ばれていたのに、コロナ禍で使えなくなっているのが残念です。
2022.04.19 18:12 | 固定リンク | 地元の話題
スタジオの近況
2022.03.06
ホームページの改訂は4月からということでお願いしています。といってもスマホでも見やすくしていただくようなことで大幅な変更ではありません。スタジオ内の変化としては、入り口入って正面の窓際、天井からの水漏れで床が傷んでいたのを磨いてワックスかけていただき、床に光沢がでてちょっときれいになりました。JCOMのwi-fiが使えるかどうかの現地調査は今週11日(金)に来ていただくことになっています。テレビ無しのWI-FIだけだと、ビル全体を管理している大和不動産の方でお得な料金があるとのことで可能であれば加入したい意向です。

ブログを書くこともですが、読むことからも遠のいており、久しぶりにギタリストの飯泉氏のブログを読みに行ったら2月13日にプラネットでケーナとの演奏会でご利用くださった後に振り返り記事を書いてくださっていました。もっと早く読んでいればお礼コメントを書き込んだのに‥と思ったところです。この飯泉氏と今度はバイオリンの演奏会が3月13日にスタジオで開催されます。

飯泉氏はずっと市民会館浦和で演奏会を続けて来られていました。市民会館は老朽化し閉館することになり、最後に私が市民会館に聴きに出向いたのが飯泉氏の演奏会で「たしかブログにそのことを書いたのだった」と探してみたら、ちょうど昨年の2月13日のブログでした。一年後の2月13日にプラネットで演奏会を聴かせていただくことになるなんて不思議な巡り合わせのような気がいたします。3月13日の演奏会のチラシを載せようとしたのですが画像がうまくとりこめません。詳細は飯泉氏のブログをご覧くださいますように。リンクもうまく貼れなくて‥、コピーペーストしてご覧いただけたらと思います。
http://bordona.music.coocan.jp/live.html
仙台のスタジオプラネット
2022.02.12
仙台のスタジオプラネットは、本来バレエのお稽古場だったものを集会場のような形で皆さんに使っていただくようになさったのもの。ホームページはありませんが、かなり前に検索してみたらチェンバロを運び込んで演奏会をなさった方のページがヒットしたことがありました。お友達が送ってくれたプラネットの看板の写真、プの小さな丸が輪のついた土星になっています。

仙台のスタジオプラネット主催者Tさん(前のブログに書いた故人)は、実は私の初恋の人。私が小学校5年生のとき1学年上に転入してきました。私が習っていたバレエの先生の妹さんが三人のお子さんを連れて、お姉さんである先生を頼って仙台に来られたのでした。都会の香りをさせた垢抜けた美少年でしたから「んだ、んだ(そうだそうだ)」みたいな仙台弁の同級生の男の子とは別格に見えました。卒業式のリハーサルに5年生の私は在校生代表で参列、中学生の白い詰襟姿の6年生が大人にみえて、密かに誰にも打ち明けることなく憧れておりました。

Tさんは中学に進学して学校は別になりましたが、週末の土日にバレエを習いに行くと姿をみかけました。バレエ教室のクリスマス会ではお隣の席になって、ちょっとだけ言葉を交わしてドキドキときめいたり。一年後に私は同じ中学に進学。あるとき職員室の前の黒板に「〇〇横浜に転出」というのが書き出されているの見て「これで生涯会うこともないのだろう。」とたまらなく悲しかった。

それから数十年後、酒田に一緒に旅行した仙台の友達に宿で「もう時効だから話すけれど、私の初恋の相手って一学年上のT君という子だったのよ。」と話したら、「T君はバレエの先生の養子に入られて、今、民生委員で一緒に地元で活動している。」と聞いてびっくり。T君がちょうど絵画や造形の個展を開くということで、展覧会見に行きながら会ってみようかとも思いましたが、当時の<目の綺麗な美少年>のイメージのまま心の中に大切にしまっておこうと会うのはやめました。ひとつには私は脚を悪くしたばかりで杖をついて跛行していましたから、そんな自分を見て欲しくないという思いもありました。

その後、バレンタインデーには「初恋の相手にチョコレートが贈れるなんて幸せ!」と思いながら送りつづけ、年に二、三度、落ち込んだり何か共感を分かち合いたいことがあると電話しておりました。電話で話すだけだったおかげもあってか、いつのまにか他の人には話せないことも相談できる兄のような存在になっておりました。最後の2月1日の電話では「映画<男と女>の続編ができたことを話しました。<男と女>は1966年の映画、その後53年後の2人が再会するストーリーを自分達に重ね合わせたりして。you-tubeで流れるイントロを聴くとなんだか泣けてきます。

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