仙台のスタジオプラネット
2022.02.12
仙台のスタジオプラネットは、本来バレエのお稽古場だったものを集会場のような形で皆さんに使っていただくようになさったのもの。ホームページはありませんが、かなり前に検索してみたらチェンバロを運び込んで演奏会をなさった方のページがヒットしたことがありました。お友達が送ってくれたプラネットの看板の写真、プの小さな丸が輪のついた土星になっています。

仙台のスタジオプラネット主催者Tさん(前のブログに書いた故人)は、実は私の初恋の人。私が小学校5年生のとき1学年上に転入してきました。私が習っていたバレエの先生の妹さんが三人のお子さんを連れて、お姉さんである先生を頼って仙台に来られたのでした。都会の香りをさせた垢抜けた美少年でしたから「んだ、んだ(そうだそうだ)」みたいな仙台弁の同級生の男の子とは別格に見えました。卒業式のリハーサルに5年生の私は在校生代表で参列、中学生の白い詰襟姿の6年生が大人にみえて、密かに誰にも打ち明けることなく憧れておりました。

Tさんは中学に進学して学校は別になりましたが、週末の土日にバレエを習いに行くと姿をみかけました。バレエ教室のクリスマス会ではお隣の席になって、ちょっとだけ言葉を交わしてドキドキときめいたり。一年後に私は同じ中学に進学。あるとき職員室の前の黒板に「〇〇横浜に転出」というのが書き出されているの見て「これで生涯会うこともないのだろう。」とたまらなく悲しかった。

それから数十年後、酒田に一緒に旅行した仙台の友達に宿で「もう時効だから話すけれど、私の初恋の相手って一学年上のT君という子だったのよ。」と話したら、「T君はバレエの先生の養子に入られて、今、民生委員で一緒に地元で活動している。」と聞いてびっくり。T君がちょうど絵画や造形の個展を開くということで、展覧会見に行きながら会ってみようかとも思いましたが、当時の<目の綺麗な美少年>のイメージのまま心の中に大切にしまっておこうと会うのはやめました。ひとつには私は脚を悪くしたばかりで杖をついて跛行していましたから、そんな自分を見て欲しくないという思いもありました。

その後、バレンタインデーには「初恋の相手にチョコレートが贈れるなんて幸せ!」と思いながら送りつづけ、年に二、三度、落ち込んだり何か共感を分かち合いたいことがあると電話しておりました。電話で話すだけだったおかげもあってか、いつのまにか他の人には話せないことも相談できる兄のような存在になっておりました。最後の2月1日の電話では「映画<男と女>の続編ができたことを話しました。<男と女>は1966年の映画、その後53年後の2人が再会するストーリーを自分達に重ね合わせたりして。you-tubeで流れるイントロを聴くとなんだか泣けてきます。

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