VHSビデオ ダビング中
2018.02.06
昨夜、渋谷のセルリアンタワー内にあるJZブラットで暮にプラネットでの演奏を聴かせてくださったピアノ岩崎さん、ギター高木さん、パーカッション藤橋さんのトリオでのライブがありました。私は聴きに行けなかったのですが、「そういうライブを浦和にいながらプラネットで聴かせていただけるって有難い。」とあらためて思いました。

暮のその演奏会の時にギタリストの高木さんから「プラネットに井上信平さんの会に来たことがあったんですよ。井上さんは今も来られていますか?」と聞かれました。ジャズフルートの井上さんのファンの会は都内に移られて今も続いています。会場が移られてからも主催の春◯さんから私にもお声をかけていただいたりしておりました。「井上さんがプラネットに来られていたのはいつ頃までだったかしら? その頃がスタジオも一番活況だったかもしれない。」と思います。

井上信平さんがスタジオに来られてのライブをビデオにしたものを主催なさった春◯さんから2本頂戴しておりました。2001年、2003年の時のものです。そのビデオ2本をパナソニックのブルーレイレコーダーにダビング中。今はピアノ羽仁さん、パーカッション海沼さんの三人のご機嫌な演奏を聴きながらブログ書いています。そういえば、私が渋谷のJZブラットに初めて行ったのが、パーカッションの海沼さんのライブでした。

ビデオからブルーレイにダビングする方法としては、かつては両方の装置(ブルーレイじゃなくてDVDだけ?)を備えた機器があって簡単に移せたようなのですが生産終了。我が家のブルーレイプレーヤーとVHSをつないで録画し始めたところで、ブルーレイプレーヤーの方がダウン。新規のブルーレイレコーダーを購入したら、前の機種は直接ブルーレイに録画できたのに、後継機種はハードにしか録画できないのだそうです。ハードからブルーレイにもう一度手間をかけなければなりません。

ビデオデッキはもう生産されていないので、我が家のビデオデッキがダメになったらVHSビデオは見ることができなくなります。当然ブルーレイへのダビングもできなくなります。ダビングして残しておきたいビデオの優先順位を決めて録画していこうと思います。ピアソラが来日した時のテレビ番組録画とか自分のフラメンコの発表会のビデオとか。当時我が家にいた愛犬を連れての旅行のビデオなどなど。どうかビデオデッキが長持ちしますように‥。
(あら!私がギター発表会で弾いたミスターロンリー、リクエストコーナーで井上信平さんがピアノ弾いているのでした。)
大宮の造幣局の見学
2018.02.03
1月31日、新都心(さいたま市大宮)に一年ちょっと前に移転してきた造幣局の見学に行ってきました。地元にある同窓会支部の、<さいたま市周辺>の小さなミニ支部で6月に造幣局の見学を企画しており、その下見です。今週は雪も降りましたが水曜日はお天気にも恵まれてラッキー。仮想通貨が巷をにぎわせているときに実際の通貨が作られているところを見学に行ったようなことでした。

このブログのカテゴリに<地元の話題>というのも作ってみたことですし、地元の情報として書いておこうと思います。90分のガイドツアーの予約をしていくと、これまでに出された記念貨幣などが色鮮やかに載っている立派な資料もいただけますし、フリーで行って見学するのと違って解説を聞くと「そうだったんだ〜。知らなかった!」みたいなことがいっぱいあって楽しいので、同じ見学されるならガイドツアーをお勧めします。平日の午前10時と午後2時。詳しくは造幣局のホームページをご覧になってください。

造幣局は広島と大阪とさいたまの三箇所。広島と大阪は敷地内の桜が綺麗との紹介をビデオ紹介の中でも見て「さいたまも桜があるといいですよね。」と誰かが言ったら「植えてあります」とのこと。帰り際に見たらまだ苗木と言いたいぐらい若くて細い木が植えてありました。見事な桜並木になるのを見届けるには長生きしなくちゃ‥です。

紙幣は作らず硬貨と勲章などを造っています。これまでの国内の三回のオリンピックの金メダル銀メダル銅メダルの展示やもありました。国民栄誉賞の盾も置いてあって思いの外大きいのに驚いたり。受賞なさる人がスポーツ選手などで体が大きい人が受け取るのでそう大きくは見えないのでは?みたいなことです。建物が新しくゆったりして綺麗ですし、展示もほの暗い中に浮かび上がるようなスポットライトで勲章もさながら宝飾品のような美しさです。

見学を終えたあと、近くにはアルピーノ村もありますし、私たちはイルクオーレというイタリアンでのランチのこれも下見というのか味見というのか。クオーレというのはイタリア後で心やハートのことで、ハートをモチーフにしたインテリアがあちらこちらに。「まごころ」というような意味合いとのことでした。

学生時代、仙台からのこのこ上京して、垢抜けない気後れと、慣れない自炊やクラブ活動までして勉強の方がおろそかになってしまって、コンプレックスでフリーズしたままかろうじて卒業だけはしたようなことでした。そんなこんなで同窓会の方も全くご無沙汰でしたが、地元の同総会でプラネットでチャリテイコンサートでのご利用がきっかけで同窓会のお仲間入りができたようなことでした。天文同好会も同窓会もスタジオをしていなかったら参加することはなかったと思います。スタジオを通して多くの出会いと豊かな時間を与えられたことに心から感謝!
2018.02.03 16:34 | 固定リンク | 地元の話題
明後日は今月二回目の満月 しかも皆既月食
2018.01.29
ブルームーンという歌があります。「ブルームーンというのは一ヶ月に満月が二回めぐってくること」と思っていたのでしたが、wikipedeiaを見ると某雑誌が誤ったことを載せたのが通説になってしまったようです。本来は一年を4つの季節に区切った3ヶ月間で4回満月があるときの3回目を言うのだとか、ちょっとややこしいです。関心のある方はwikipedeiaをご覧になってみてください。

数年前にハワイ島のすばる望遠鏡見学と兼ねて月食を観望するツアーがありました。当時、天文同好会にも所属していた私は<すばる望遠鏡>を見たくてそのツアーに参加したのでしたが、すばる望遠鏡見学の感激と同じかそれ以上にハワイ島のマウナケア山頂に向かう途中で観望した皆既月食は忘れ得ぬものとなりました。

皆既月食そのものはそれほど珍しいものではなく日本国内でも観望できるわけですが、暗さがまったく違うのです。月が地球の影に隠れるにしたがって、月の周りの星が徐々に見えてくるのにも感激。それまで煌々と明るい満月に照らされていた周囲は一転して真っ暗に。マニアックな人が多かったので三脚持参で月食の写真撮る人たちがいました。その邪魔にならないように離れた所で観望している私たちをツアーの責任者の方が見回りに来てくださるのですが何しろまったく見えない。闇の中で足音が近づいてきて「そこに誰かいますか?」「会田です」みたいな感じです。月の写真を撮っている人たちに光源は厳禁ですから、下手に懐中電灯の灯りも向けられません。(赤いセロファンを貼った懐中電灯で足元だけ照らすようにして歩きます。日頃の天体観測の時にも赤いセロファンの懐中電灯は必須。)

その暗闇を体験して初めて「月の昇るのを心待ちにした古(いにしえ)の人たちの心情」が分かった気がしました。満月を過ぎて昇ってくるのが遅くなる月に<立ち待ち月><寝待ち月>というような名称がありますが、美しい月を鑑賞するために待つのかとノンキに考えていたのですが、それ以上に月の明るさをも心待ちにしたのだと思ったのです。都会にいると月が隠れても街明かりでいっこうに暗さ(月明かりの有り難さ)など感じませんものね。

私は戸田天文同好会の2000年のオーストラリアへの遠征を機に同好会に入会しました。「地平線から地平線までのあの星空を見たら人生観が変わる」と言われて「一度そんな降るような星空を見たい。」と思ったのです。ハワイの真っ暗な星空はそのオーストラリアの星空と同じぐらい星で埋め尽くされていました。その満天の星空の中に赤銅色の幻想的な月がぽっかり浮かんでいます。星がまばらだと星座も見つけやすいのですが全天降るような星空では明るい星を見つけて星座線を結ぶのが難しくなります。

スタジオにプラネット(惑星)と名付けたので「天文同好会にいるぐらい星が好きだからなのか。」と思われたりすることがありましたが、話は逆で、スタジオに天文同好会の方たちが来られたのが縁で入会したようなことでした。2年前に退会してからは「久しく綺麗な星空見上げていないなぁ」と寂しく思います。

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