下見二組/本日からマリアデユオの妹分
2018.02.20
きょうは珍しくスタジオの下見というのか打ち合わせに二組おいでくださいました。最初の方は、先日スタジオの入り口に張り出してある「貸し出し事務局はこちらにございません。」と連絡先を書いてあるのをご覧になって電話(留守電専用)くださって、かなり以前に演奏会を聴きに来られたことがある方とのこと。会の主催者ではないということでしたので、「主催者の方と会場を下見なさってお決めください。」ということになっていました。

「どんな方が来られるのかしら。」と思っていたら、思いがけずスタジオを始めた頃に何度かご利用くださった方でした。私が足の具合を悪くしてクローズしたという評判を聞いておいでだったとのこと。別会場での会を予定していたのだけれど先日問い合わせ電話くださった方が「プラネットではどうか?」と話されて「プラネットだったら昔何度か利用したことがある。」ということで来場され、思いがけない再会となりました。でも、ご利用希望日の5月の第4日曜日はジャズボーカルのお仲間の定期利用、翌週の日曜日は、昨年まで秋に素敵なライブを聞かせてくださった藤野様が今年は6月にということで先日ご予約をいただいたところでした。出演者の方と日程の調整をしてみるけれど「今回ダメでもまたこれからの機会に。」ということでお帰りになりました。


スタジオが一番盛況だったころには、スタジオのご利用者でたまたま仙台の高校の後輩ということがわかったOさんがスタジオの貸し出しを手伝ってくださっており、その後、近くで<スタジオ游>を主宰している従姉妹(正確には従兄弟の奥さん)が手伝ってくれておりました。
一度クローズ状態にしたことでスタジオが暇になったので乗馬にも通えるし、同窓会の地元のミニ支部のお手伝いもできるようなことで、私としては今のペースで十分。貸し出しの回数よりも「ここにこういう場所があって良かった〜」と思ってくださるような方にご利用いただいて、終了後には「借りて良かった。」「貸して良かった。」ということであってほしいと願っています。


英会話を習っていた頃、「何をしているのか?」と聞かれたら「貸しスタジオ」と答えられましたが「仕事は?」と聞かれると言葉に詰まっていた時期がありました。「PROFITTABLEか?」とアメリカ人らしく率直に聞かれたことがありました。利益を生み出すような<仕事>ではありません。ですから同業者もおりません。


きょう二組目の打ち合わせはマリアデユオ、「私も姉さんと呼んでいいですか?」とお聞きしてご快諾いただき本日からマリアデユオの妹分になりました。「姉さん」というよりは「姐さん」という感じです〜。
マリアデユオ バレンタインコンサート
2018.02.17
11日(日)マリアデユオのお一人、菅原しのぶさんのお宅で開催された、<菅原さんと土屋祐介さんのギター二重奏によるバレンタインコンサート>を聴いてまいりました。菅原さんはお手製の赤いドレスに赤い大きな髪飾り。マリアデユオが会社組織になった発表もあってびっくり。菅原さん宅での演奏会は11回目になるけれど、会社組織になってからは初めてということでした。

終演後に一番弟子(一番弟子がたくさんおいでになるのだそうです〜)の方がカクテルを作ってくださいました。ダイキリとかホワイトレデイとか、どれも美味しい上に「ショートカクテルは短い時間に飲むもの」と教えていただいて「グラスがショートだからじゃなかったのね。」などと言いながら次々飲んでいたら、帰りは足元がおぼつかなくて近くのバス停まで「私まっすぐ歩けているかしら?」状態でした。


マリアデユオのもう一人の藤森さんとお隣の席にしていただいて親しくお話ができて嬉しかったです。菅原さんとお二人でお互いに「社長」とか「姉さん」とか呼び合っていて、仲睦まじく、一匹狼の私は「いいなぁ」と思いながらその場の雰囲気を楽しませていただきました。


演奏はソロと二重奏と続いて、アンコールで演奏なさったインドの方が作曲した「へびつかい」という曲がアンコールでした。you-tubeに以前の同じ演奏がありましたので、お二人の演奏の雰囲気がわかるようにその動画をアップしておきますね。これをご覧になった作曲家の息子さんから「父の曲を演奏してくれてありがとう」とメールがきたそうです。
演奏を聴いて「ぜひ自分の曲を弾いてください」という依頼も来るのだそうです。インターネットが普及して便利な世の中になりましたよね。



前にこのブログに「4月1日にマリアデユオによるチャリテイコンサートをプラネットでします。おいでくださいね。」というようなことを書きましたが、会社組織になった記念パーテイとして、お知り合いの方々だけの会になるかもしれないのだそうです。<飲食中心のパーテイはご遠慮いただいていているプラネット>としてはちょっと戸惑ってしまって、近々お打ち合わせにきていただくことになりました。


スタジオを造る段階ではカウンターもあることですし、結婚式の二次会のようなパーテイへの貸し出しも考えておりました。スタインウエイのグランドピアノを入れたことで、万が一、ピアノの上に飲み物でも置かれて倒されたりしたら大変なことになりますからパーテイへの貸し出しはしないことにした次第です。ライブなどでピアノを演奏しながらでしたら大丈夫かもしれないのですが、ギター演奏などで、ピアノを使わない場合、大屋根(ピアノの蓋)を閉じてカバーをかけたピアノの高さって。ちょうど何か置きたくなる高さになってしまうのですよね。最初は気をつけていても歓談に夢中になるとひょいと置いてしまうような‥。プラネットで対応できそうかどうか、私がピアノの番人か姑みたいに目を光らせていても感じ悪いでしょうしねぇ。せっかくのマリアデユオの記念すべき会社設立記念、なんとか知恵をしぼって思い出に残る会ができるようだと良いのですが。さてどうなるでしょうか。
2018.02.17 17:21 | 固定リンク | 地元の話題
ピアソラ
2018.02.08
F.Tさん、スタジオへの4つ星の評価をどうもありがとうございます。グールルマップに地図を載せていただいているからだと思うのですが、グーグルから評価をいただいたお知らせメールが参りました。存じ上げないお名前ですので、先日の竹内氏の演奏会のお客様かしら?と考えてみたりしているところです。初めてのことでどうしたら良いものかわからないので、ブログにてお礼申し上げます。どうもありがとうございます!

昨夜、VHS<ピアソラのすべて>をダビングしました。ピアソラの来日ステージの録画と思い込んでおりましたが、ピアソラが亡くなってからの回顧番組のようなもので、細川俊之のナレーションでピアソラと共演した演奏者たちのインタビューなどの後に来日したときのステージが収録されているものでした。1988年の来日ステージということですから今からちょうど30年前になるのですね。

リベルタンゴで初めてピアソラを聴かれた人が多いのではないかと思います。この番組も「ヨーヨーマなどがピアソラを取り上げてクラシック界でタンゴがブームになっている。」というような流れから構成されたものでした。

私がピアソラを最初に聞いたのはフルートとギターの組曲<タンゴの歴史>。すごく気に入って「ギターとの二重奏でフルート吹いてみたい。難しそうだし、プロにお願いするしかないかしら?」と思ったりしておりました。その後スタジオに来られたギター奏者がプロを目指してスペイン留学もなさったことのある人で、スタジオでの内輪の演奏会でタンゴの歴史を共演したり、ギターの発表会で先生と合わせていただいたりして、「あのときの夢は実現している。」と思います。

ピアソラのお父様が亡くなったときに作られたアデイオスノニーノ。この曲を聴くと、お父様への愛情と感謝の思いに満ちているようで、私自身、(お父さん子だったので)自分の父親への思いと重なっていつも涙が溢れてきてしまいます。昨夜ピアソラ本人の演奏を聴いてまた涙‥でした。以下のyou-tubeの演奏ですとストリングスの甘くて優美なメロデイになるところで、お父様への厚い感謝の思いが溢れているように思えて‥。最近、お父様とお別れしたお友達からのメールに彼女の思いも重なってきます。父親は、かけがえのない本当に大きな存在だと思います。



以下ウィキペデイアからの引用

1959年10月、ファン・カルロス・コーペス舞踏団とともにプエルトリコ巡業中、父親ビセンテ(愛称ノニーノ)が故郷で亡くなった知らせを受けた。しかし、ピアソラにはアルゼンチンに帰る旅費がなかった。ニューヨークに戻り、失意のなかで亡き父に捧げて作曲したのが「アディオス・ノニーノ」である。

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