13日から2泊で鹿教湯温泉斎藤ホテルに行ってきました。斎藤ホテルでは宿泊客に<斎藤たより>という眺めているだけで楽しくなるような綺麗な写真満載のおたよりを送ってくださいます。斎藤駕籠屋というバスツアーを毎月いくつも企画していて、そのツアー先の景色などを紹介したもの。毎週金曜日の夜にはロビーコンサートと称するライブも行っていてその出演者の紹介なども。
いただいたお便りの中で、毎年人気という”高瀬渓谷の紅葉を見に行くツアー” を申し込もうと思ったら定員30人がすでに満席でキャンセル待ちとのこと。行けなかったら安曇野辺りに一人で出かけても良いしと、とりあえず予約。数日前にキャンセルが出たということで参加できることになりました。<斎藤たより>が届いた頃から三日ぐらいで3回のツアーが満席になったのだそうです。高瀬渓谷の翌日は上高地へのツアーで連日参加の人もかなりいるようでした。
今年は10月にはいっても夏のような暑さで、紅葉は遅れていて残念でしたが、8万個の石を(お城の城壁のような)野面積みにしたダムだけでも見応えありましたし、水をたたえたダムの向こうにちょこんと頭だけのぞいている槍ヶ岳なども見えました。高瀬ダムへはマイカーやバスの乗り入れはできず、地元の許可を得たタクシーだけが行けるので、ツアーでタクシー相乗りで連れて行っていただけて良かったです。斎藤ホテルのツアーは車内のガイドも毎回「そうなんだ〜」と思うような解説がたくさん聞けて楽しいです。長野県は周囲8つもの県に接していることも、このツアーで知ったのでしたし。我が埼玉県もちょっとだけですが接しています。皆様、8つの県、思い当たるでしょうか?
斎藤ホテルは温泉プール(ただおの温水ではなく温泉水)があること、トレーニングルームがあることなどで、股関節症の私は2007年から現代の湯治宿として利用するようになりました。当時、ロビーコンサートの企画や司会をなさっていた赤羽泉美さんは、その後プロのジャズフルーテイストに転向してご活躍。この秋に2枚目のCDをリリース、記念のライブも横浜でなさるとのことでご案内いただきました。斎藤ホテルのサロンコンサートで聴かせていただいた演奏者がスタジオに「初めまして」とこられて「いえ。斎藤ホテルで聴かせていただいています。」みたいなこともこのブログに書いたことがあったと思います。斎藤ホテルでは「お帰りなさい」とお客様を迎えてくださるので、故郷にかえったような気がします。
今回は、買い替えたばかりのスバルXVで行ってきました。行く時にカーラジオでたまたまつけた「大人のラジオアレクサンドリア/ロバートハリス氏DJ」というのがなかなか良くて、宿に着いてからネットで見てみたら深夜放送を聞いて青春を過ごした60代70代を対象にした番組なのだそう。そういえば若い頃、オールナイトニッポンとか、東京の下宿先でしか聞けなかったジェットストリームとか懐かしく思い出しました。
その番組の中で、ロバートハリス氏のお父様も講師をなさった<100万人の英語>がNHKの朝ドラのテーマになるということで見てみようと思っています。祖母、母、娘、3代にわたるラジオ番組との関わりを描いたドラマでタイトルはカムカムエブリバデイ。楽しみです。
スキーをしたりフラメンコまで踊っていたような私が足に異変を感じ変形性股関節症と診断されたのは何年前になるのかしら? <人工関節にしない保存療法>で診てくださるという石和(山梨)の富士温泉病院に月に一度ぐらいのペースで診察とリハビリに通っておりました。富士温泉病院が昨年初めのクルーズ船のコロナ患者の受け入れを始めた最初の病院だったことをかなり後になって知りました。私は昨年の1月に行ったきり「コロナ患者受け入れの病院になった」という話を聞いて「敢えて今行かなくても。コロナが終息してから。」と思って予定していた検診をキャンセルしました。昨年暮れに(手術が主流の中で)保存療法で診てくださる稀有なお医者様ということで全国の患者さんから慕われていた富士温泉病院の矢野先生が突然亡くなられてしまい、患者の私たちは呆然。
昨年のクルーズ船のコロナ騒ぎの頃は「まぁ、お気の毒」と思いながらニュース見ておりました。最初の緊急事態宣言でゴールデンウイークまで我慢すれば夏ぐらいには良くなるのかと思ったのでしたが、一年経ってもこんな状態とは予想もしませんでしたよね。オリンピックも一年延期すればなんとか穏便に開催できるのかと思ったのでしたが、今は「オリンピック後に日本はどうなっているのだろうか?」とハラハラしながら過ごすような日々です。
股関節症の方は某トレーニングジムから独立なさった良いパーソナルトレーナーをご紹介していただいて、富士温泉病院の理学療法士さん並みの指導をうけることができるようになってラッキー。一度は暇にしているスタジオプラネットに来ていただいて床にマットを敷いて指導を受けました。「大きな鏡があっていいですね。ご家庭の姿見だとこんなに映らないですから。」それ以来、家でかさばっていたバランスボールはスタジオにそのまま置いてあって、スタジオに行くとピアノを弾いたりフルート吹いたりする前後に、教えていただいた運動をしてみております。
股関節症のリハビリということで(ウマ年に)始めた乗馬も続けていて、当初、越生の乗馬倶楽部に通っておりましたが、今は伊豆下田乗馬倶楽部に月に1度ぐらいですが通っています。こちらはセンタードライデイングという<人にも馬にも優しい乗り方>でレッスンしてくださるのが大きなポイント。南伊豆の自然の中でキジの鳴き声を聞いたり時には姿を見たり。東京駅からの踊り子号への乗り換えは浦和からの列車が着く同じホームなので一度乗り換えるだけですから便利。往復に時間はかかりますが、以前は読書タイム、今はNetflixでダウンロードした映画やドラマをi-padで見ながら通っています。日頃なかなかまとまった時間とれないのでこれはこれでヨシと思うようになりました。首都圏から通っている人が多くて、中でも埼玉県組が一番多いです。秩父から通っている人がいたのも私が会員になる決め手になりました。それだけ魅力のある内容のレッスンと雰囲気ということだと思います。
そんなこんなで日々暮らしております。皆様もどうぞ気をつけてお過ごしくださいますように。
彼女は小学校4年生の時に仙台の小学校に転入してきて、卒業と同時に関西に転出。5年6年は別のクラスだったのに仲良しでいられたのは、家が近くてよく一緒に遊んでいたから。当時、少女漫画の<りぼん><なかよし>というのがあって付録についてきた便箋や封筒を大事にとってあったのだけれど、転出していった彼女との文通にだけ、その大切な便箋で手紙を書いておりました。大阪万博には声をかけていただいて数日泊めていただいたり、何年に一度か会ってきました。東日本大震災の後に「会いたい人には会っておこう」と大阪に会いに行ったとき「人生の最初の頃に、こんなにも素晴らしい人と出会っていたのだ。」と気がついたようなことでした。
私はピアノは小学校2年生で習い初めて、ツエルニー30番ぐらいで、引っ越したのを機にレッスン終了。‥というのかいき詰まって弾けなくなっておりました。その後も大人になって何度か習ってみたものの続きませんでした。今回、「もっと早くに彼女から習えていたら。」と思いました。「子供の頃に彼女のような先生に出会っていたらピアノも落ちこぼれなかったかもしれない」と思ったり。彼女の話だと「経験を重ねてきた今だから、この教え方になっている」とのこと。
小学校の時「こんなふうに弾くようにと教わった」と机の上で弾くまねをしてみせる彼女を見て「私はそんなこと教わっていない。ちゃんとした教え方じゃないのかもしれない。」と思ったことが印象にのこっています。笑い話みたいですが、ピアノ習い始めた頃、買ってもらったのは足踏みオルガンでした。同じ鍵盤楽器とはいえタッチもなにもあったものじゃありません。最初の発表会のあとに母が「オルガンじゃだめ。」と気がついたとのことで、ピアノを買ってもらいました。そのピアノはスタジオを始めたときに知人のお嬢さんに差し上げました。
今回、アップライトの自動演奏のピアノを自宅用に予約。昨年暮れに申し込んで納入は秋の予定です。「スタインウエイの自動演奏のピアノが出た」ということを知って、「スタジオのご利用も減ってしまったし、演奏会で生の演奏を聴く機会もコロナ禍で無くなってしまったし、この際、自動演奏のピアノに入れ替えて往年の著名な演奏家のピアノ演奏を聴けたら良いかもしれない。」と思ったことがきっかけ。それからいろいろな人の意見を聞きました。それだったらオーデイオの良いのを揃えた方が、性能のよいケーブルに変えるだけでも全然違うというマニアックな人の意見もあったり。自動演奏のピアノについては書き始めると長くなるので、またの機会に。
伏見で十石船に乗ったら、両岸の桜が満開でそれはそれは美しい眺め。桜の時期にはたとえ料金が倍額だったとしても乗る価値があると思いました。逆にこの時期に乗ってしまうと他の季節には物足りなく思えてしまいそうです。浦和の見沼の通船堀と同じ仕組みの水の高低差を変える水門(最近復元したもの)があって、そこで一度下船して資料館を見て迎えの船に乗って戻るようになっています。十人ずつ左右に分かれて背中合わせに座って両岸を見ながら往復します。二十人乗りの船の船尾の席だったので左右だけでなく後ろの桜のトンネルの眺めも見えてラッキーでした。
伏見では黄桜や月桂冠などの酒蔵が並んでいます。伏見夢百衆という大正時代に建造された月桂冠の旧本社建物を利用して作られたカフェで<利き酒>をしているということで予約。利き酒は私たちが行った日には(日によって違うのかと思うのですが)まず<伏見港>というお酒を少しいただいて、その後にABCDと四種のお酒を出していただいた中からどれが伏見港か当てるというものでした。AとBが違うというのはわかったのだけれど、CとDで迷って主人はD私はCと別々の答えにして主人が正解。当てた人には地元の商店街の1000円の商品券がいただけたので1000円の桜の羊羹を(消費税分80円足して)地元の和菓子屋さんで購入してきました。
伏見夢百衆で利き酒を終えたあと、14種類のお酒が置いてあって、45分間飲み放題1000円。(ネットで見ると60分16種類1500円になっています)お隣のテーブルのご年配の方が「ここは酒飲みには天国ですなぁ」と(酔って)真っ赤な顔で嬉しそうに言っていました。私はお酒よりも添えてあるお水が美味しくて何倍もおかわりをしてしまいました。伏見は伏水だったとかで何しろ水が美味しいです。秀吉の茶会にも使われたのだそう。
私が日本酒に目覚めた(?)のはスタジオを始めてからのこと。スタジオの上のマンションに地元の酒屋さんのご長男が住んでいて、友達の企画で<日本酒を楽しむ会>をしたことがあって、それまでは大吟醸とか山廃仕込みとか何もわからずにいたのが(今も決して詳しいとは言えませんが)そこで解説を聞いたり飲み比べたり。企画した友人はスタジオのオープニングの司会をしてくれた人で「昔は、巫女がお米を噛んでお酒をつくっていたのよ」と話してくれて「知らなかった〜」と思ったりしました。
当時彼女は<大人が美味しくお酒を飲めるお店を持ちたい>と話していたのに英国に定住することになったので実現しませんでした。一時帰国した時に一升瓶持ち帰ったりしていました。当時はまだ機内にお酒(液体)持ち込むのも大丈夫でした。時代も変わりましたよね。<相棒>にでてくる<花の里>のような行きつけのお店があって、疲れた時など一人で気軽に「何か美味しいもの食べさせて〜」と笑顔の素敵な女将がいるお店があったらと憧れたりしていました。彼女ならできそうだったのにとちょっと残念。
このたび司牡丹の代取が始められた<酒道 黒金流>というのに入門することになったので、日本酒のことも書いておこうと思った次第。人と人との繋がりが希薄になってきている/地方色が薄れてきていることなど思いに共感するところが多々あって入門することにいたしました。特典がいろいろある中で、ZOOMで直接 代取の竹村氏に質疑応答したり、他の愛好家の方々との懇談会もあり、楽しみにしているところです。
関西方面は本日制限が解除されましたね、埼玉は目標の10万人あたり0、5人以下を満たしていても首都圏として東京神奈川と一緒にまだ自粛が続きます。
プラネットもここのところずっと休業状態
ステイホームでアマゾンプレミアで海外のドラマなどを見ています
昨夜見たコールドケースではエターナルフレームという曲が流れていました。これは1995年のスタジオのオープニングの時、フラワーアレンジ展でスタジオを飾っていただいた展示のBGMとして繰り返し流したオルゴールのCDの冒頭の一曲