山梨の博物館でPLANETのクリアフォルダーを
2017.08.27
前の記事の<ネパールの子供たちにギターを>のクラウドファンデイングは今日現在で907000円集まっています。残りの期限15日で目標額を達成できるでしょうか。この企画をなさっている女性二人のギタリストのうちお一人はさいたま市にお住まいとのこと。私のギターの先生と一緒に演奏活動をしたこともある方なのでした。

スタジオを始めた頃に、「スタジオに BGMとして流しておく音楽を」と当時ラテン音楽のレコード専門店をなさっていたテリーレコードさんに相談したら、「ありきたりの音楽じゃつまらないよね。BGMとして心地良く聞き流せる感じで。」ということでPaulo Bellinateというギタリストのブラジルのショーロ中心のCDを二枚勧めてくださいました。「当時、自分がギターを始めるとは夢にも思ってもいなかったなぁ。」と感慨深く思いながら久々にそのショーロのCDをスタジオの下見に来られた方を迎えるのに流しました。

先日、足のリハビリで山梨の温泉病院に行ってきました。病院から車で10分ぐらいの山梨県立博物館で<人類と宇宙>という企画展を今月28日までしていて見てきました。探査機のはやぶさやあかつきの実物大模型があったり、小惑星イトカワの実物微粒子も顕微鏡で覗けるようになっていたり、見応えありました。売店にPLANETのクリアフォルダーがあったので買ってきました。



さきほど、スタジオご利用中の方から電話があって「水が出ない。」ということで、焦って懇意にしている水道屋さんに電話。たまたま近くに居るとのことで来てくださって、圧力を調整しているような箇所が動かなくなっているようなことで電源入れ直してもダメで、ゴンゴン叩いたら復旧してホッ。(なんとも原始的)ポンプ本体が老朽化しているので交換ということになりました。ご利用者の方にはご迷惑おかけしてしまいました。ビルを建てた最初からのポンプなので20年良く持ったということかもしれないとも思います。
ネパールの貧しい子供たちにギターを
2017.08.15
先週の土曜日、<蕨市立文化ホールくるる>に<第2回 アポヤン道 ギターフェステイバル>を聴きに行ってきました。蕨駅を出ると線路沿いにすぐ見える会館、広さも手頃で「浦和にもこういう会場があると良いのに。」と思いました。

演奏会についてご紹介するのは私の(文章の)能力を超えています。(それぐらいユニークな演奏会)ご紹介したいのは、その会場で配られたチラシ「ネパールの貧しい子供たちに50本のクラシックギターを贈るプロジェクト」についてです。

フェステイバルに出演なさった演奏家ではないのですが、二人の女性ギタリスト<マリアデユオ>がカトマンズでネパールの孤児院の子供達の音楽的な支援をなさっているそうです。音楽院まで建てて音楽指導をなさっている中で、ギターを希望する子供達が増えてきて、ギターの数が足りなくて交代で練習しているようなことで、その子たちが各自の楽器で毎日練習できるように50本ギターを購入、貸与して、さらにはギター合奏団をつくるべくクラウドファンデイングを始めておいでです。

クラウドファンデイングでの目標額は100万円。現地で20,000円の楽器を50本ということです。私はクラウドファンデイングというのに援助するのは初めてで知らなくて「応援メッセージを」というのに書き込んだら、それがそのままそのページに載ってしまいました。書き込んだのは「私自身はFacebookをしていないけれど、している人たちに広めてもらったらいいですよね。」みたいなこと。スタジオのこのブログで紹介しているのも、可能でしたら3000円からの寄付を受け付けているので応援してあげていただけたらという思いと、「こういう活動をしている人たちがいます」ということをSNSで広めていただけたらと思ってのこと。

このプロジェクトは「100万円の目標額が達成できなかったら実現しない。」というタイプのものなのだそうです。今72万円なので72パーセント達成。期限は9月11日までです。私はクレジットカードで申し込んであるのですが、目標を達成した後にクレジットカード払いになるのだそうです。

ネパールは大変貧しい国で音楽を勉強するのは二の次、大変贅沢なこと。ギターは持ち運びもできるし、アコギやエレキへの転向も容易になるというようなことも書いてあります。確かにピアノやバイオリンでは50人分そろえることもできませんものね。

2万円、つまりギター一台分の寄付をした人はギターに名前を入れるのだそうです。プロジェクトが実現すると<プラネット>のネームを入れたギターをネパールの子供の誰かが弾くことになるのだと想像するとワクワクします。

クラウドファンデイングのページ
こちら

日本に生まれ育って<音楽を楽しめる生活ができること>がいかに恵まれていることか。「ギターがちっともうまくならない〜。」と落ち込んでいては申し訳ない気がしてまいります。


突発性難聴のこと
2017.08.12
突発性難聴になったのは私ではなく主人。三週間ほど前になりますが朝起きて「左耳が聞こえない。」とのこと。友人に電話して、評判の良い耳鼻科を紹介してもらい、その日の午後に診察をうけ三日ほど様子をみて改善しないのでメデイカルセンターに紹介状を書いていただきました。

突発性難聴はご存知の方も多いのかとも思いますが、発症して1.2週間の治療が勝負。最初の耳鼻科で主人がドクターから言われたことに「完治する人が三分の一、聞こえなくなってしまう人が三分の一、残りの三分の一は調子が良くなったり悪くなったり具合の悪いまま。」とのことで、「まぁ、命にかかわるわけじゃないので‥。」とのことだったそうです。

私が足の不具合でお世話になっている鍼灸師の先生にもお世話になり、耳の周囲に置き鍼をしていただいたのが功を奏したようだと主人は申しておりますが、おかげさまで三分の一の確率の<完治>することができました。鍼灸師の先生からも「発症してすぐ来てもらったのが良かった。」と言われました。

友人のご主人で音響関係のお仕事をなさっている方が、片方の耳が聞こえなくなってしまって「突発性難聴は早期の治療が大事」ということをお聞きしておりました。体調不良の場合、通常は「数日様子を見て良くならなかったら医者に」と思うケースが多いかと思いますが、突発性難聴だけは、即、病院に行くようにした方が良いようです。ご存知ない方がいたらとブログに書いておこうと思った次第です。

このまま不具合だと飛行機もダメとのことでしたが、完治したおかげで、4日間の札幌への旅行も予定通りでかけてくることができました。眼下に中島公園と正面に藻岩山の緑がみえるマンションタイプの17階の部屋に滞在。浦和ではビルの谷間で空も見えないぐらいの暮らしをしておりますので、「高層マンションに住む方たちは毎日こんな眺めをご覧になっているのだわ。」と思いながら過ごしてきました。

主人の望みで、この8月で閉館になる小樽の石原裕次郎記念館へも行ってきました。ロケに使った車や愛車など何台も展示されていたり、発売されたドーナツ盤のシングルレコードのジャケットが一堂に並んでいるのも壮観ですし、私自身はちょっと世代が違ってファンというほどのことではないのですが、あれだけ揃っている記念館が無くなるのは寂しい気がします。そういえば新都心のジョンレノンミュージアムも閉館になりましたものね。こんな近くにミュージアムができたときには嬉しかったですが、無くなってしまって本当に残念。
牡蠣小屋
2017.02.03
あっというまに日が過ぎていきます。なかなかブログが書けずにおりますが、なにはともあれ一年は続けてみたいと思っています。

1月29日から2泊で有馬温泉と宮島に出かけてきました。録画しておいた<ブラタモリ>と<ふしぎ発見>で厳島神社を取り上げたのを見ました。厳島神社は以前から一度は訪れてみたいと思っていたところでした。「暖かくなったらでかけてみよう。」と思っていたのですが、知人が「でかけるなら牡蠣の美味しい1月末から2月に是非。」と勧めてくれたので寒い時期ではありましたが出かけたような次第です。


牡蠣の美味しい時期に出かけて大正解。フェリー乗り場のある宮島口駅近くの島田水産という牡蠣小屋を教えていただいて行ってきました。今回の旅行で厳島神社の大鳥居などと同じぐらいインパクトがありました。一時間の牡蠣食べ放題というのもあったのですが、一人前2000円で<牡蠣1キロ、カキフライに牡蠣ご飯にお新香がつくセット>にしてみました。炭代が別に400円。軍手は一つしか貸してくれないということだったのでもう一つ持参(主人と二人)、味付け用のポン酢や牡蠣ガラが飛び散るというのでそれをカバーするタオルなども持参。洗面器にどっさりはいった牡蠣と焼きあがった牡蠣をこじあけるペテイナイフと軍手とトングなどをいただいて、テーブルへ。


小屋の中には炭火の網を囲むようにテーブルと椅子があって、各自、セルフで牡蠣を炭火で焼いて食べます。牡蠣ガラはパチッとはじけて隣のテーブルまで飛んでいくようなことで、被せておく箱状の蓋があるのでした。面白かったし美味しかったです。牡蠣小屋の裏手は海でベルトコンベヤーで牡蠣がガラガラと音をたてて運ばれていました。宮島で泊まった旅館でも牡蠣ご飯や牡蠣なべが出ました。2月11日12日は牡蠣祭りだそうですから、本当にシーズンなのですね。知人が言うには1月はまだ牡蠣がこぶりで2月始めぐらいに身がぷっくりして食べごろなんだそうです。近かったら明日にでもまた食べに行きたいぐらいです。
愛犬とのお別れ
2016.12.02
黒ラブのアルフィが天国へ旅立ちました。最近はペットではなく伴侶動物と呼ぶようになっていること、人間も動物も高齢化してきている話題などをNHKで取り上げたのをみたところでした。我が家にアルフィを迎えた時から先に逝くことは覚悟していことではあるのですが、あまりに突然だったことに加えて、前に我が家にいたゴールデンレトリバーが16歳までの長寿でしたから、アルフィも12.3歳までは居てくれるものと思っておりました。9歳半での旅立ちは早すぎました。

旅立ちは26日(土)。24日に検査した結果を聞きに行く予定の日の午前中のことでした。一度家でバッタリ倒れて主人が叩いたり揺すったりして蘇生させたような状態で急いで総合病院に連れて行って「息が苦しそうなので酸素吸入しましょう。」と看護師さんに連れられてゼイゼイしながらもスタスタ歩いて診療室に入っていきました。「よかった!これでラクになる。」とホッとしていたら「容態が急変しました」とのことで、心臓マッサージを受けているアルフィの元に。

「検査で寿命を縮めたのでは」と思ったりもしましたが、MRI画像で首の奥に腫瘍が広がっているのを見せられて、よくここまで頑張った。」と思いました。11月はじめに左前足を麻痺したようにひきずるようになってかかりつけの獣医さんでレントゲン撮ってもわからず、総合病院を紹介されての検査でした。検査をうけていなければ原因さえもわからず「もっと早く検査をうけていれば回復したのでは。どうしてこんな急に。」と思ったでしょうし、蘇生していれば、手術は難しい場所とのことでしたから辛い治療が待っているだけだったのかもしれず、「アルフィはこの後の治療を拒否して逝ってしまったのだ」と思うようにしています。

それにしても、なんというタイミングだったかと思います。一週間前の同じ土曜日にはブログにも書いた13回続いた女子大の最後のチャリテイコンサートで、スタジオの貸し出しを含めての関わりを誰かにお願いするのは難しかったと思います。その後の忘年会のような打ち上げにも参加できたのでした。その一週間後にこんなことになろうとは夢にも思っていませんでした。

前日の25日は、6年ぶりに英国から9日間だけ帰国した友達と過ごして「スタジオのブログを始めたので、きょうのことを書くわね。スタジオのオープニングで司会してもらったことなども。」と話したりしていたのでした。アルフィが居なくなってから、時間が止まってしまったかのようで、荼毘にふしたのは28日なのに、もうずいぶん前のことのような気がします。一週間前の金曜日の今頃にはその友達と、久々の再会を喜び合っていたなんて信じられない気がいたします。

- CafeNote -