ウオッシュレット工事
2016.09.06
スタジオに男性用トイレひとつ、女性用は二つあります。その女性用トイレの奥の方の具合があまりよくないことに気がついて、ご利用者には「手前の方をつかってください。」と申し上げながら、昨日、ようやく水道屋さんに診ていただきました。あまり使われていないことが原因だったようです。「手前の方をつかってください。」と申し上げるから、悪循環となってなおさら使われないですものね。人間の体でも機械でも「使っていないと劣化してしまうのだわ。」と思いました。

最近、駅のトイレでもどこでもウオッシュレットになってきていて、「女性用の一箇所だけでもウオッシュレットにしようかしら。」と修理に来てくださった水道屋さんに相談してみました。私が貸し出し現場引退してから、ご利用いただく頻度も激減しておりましたし、この先、何年スタジオを続けるか不透明だしと思っておりましたが、ホームページのお引越しで心機一転、「もうしばらくスタジオ続けてみよう」と思うようになったこともあります。

現在使っているTOTOのものではなくて他社の製品で、多機能ではなくごくシンプルな物だったら私が思っていたより遥かにお手頃価格でウオッシュレットにできるのだとのこと。多機能な自動で蓋が開いたり閉まったり自動で流れたりみたいなことになるとお高くなるようです。男性トイレはコンセントがあるのだけれど、女性トイレはコンセント増設しなければなりません。「せっかくだったら三箇所ともウオッシュレットにしてしまったほうが。」ということになりました。あとになって「やっぱり他の二箇所も」みたいになりそうですものね。

水道屋さんから連絡受けた電気屋さんも、近くの現場に居て「今から5分ぐらいで行きます。」とのことで見に来てくださって金曜日にはコンセント工事の運びになりました。遅くとも来月中にはウオッシュレットになりそうです。
フルートと私 その1
2016.09.05
フルートを習い始めたのは高校2年の2月。ヤマハのグループレッスンのようなところに数回通ったところで、同じヤマハで個人レッスンに移行。受験勉強を始めるような頃でしたが、日曜ごとのレッスンに楽しく通うようになりました。小学校2年生の時に始めたピアノは中学生になる頃には止めてしまっておりました。

フルートを始めたきっかけについてはアチラコチラで話しているのですが、高校2年生のときの忘れがたいエピソードがあるのです。放課後にどこからか綺麗なフルートの音色が聴こえてきて、音色に引き寄せられるように行ってみたら誰もいなくなった教室で同級生のSさんが夕陽をあびて一人でフルートを吹いているのでした。レコードなどでフルートを聴くのとちがって、自分と同年齢の彼女がこれだけ美しい音を奏でているということでびっくり。当時、N響の首席奏者だったT氏が仙台に来られて彼女の演奏を聴かれたときに、その音色を褒めたということを後になって知ったのですが、そのときにはそんなことは知りませんから「私でもこんな綺麗に吹けるのかしら。吹いてみたい。」と思ったのでした。

彼女とは高校三年では同じクラスになり、卒業のときのクラスのお別れ会で、ギターとフルート2本で<白いブランコ>など演奏したのでした。彼女のフルートを聴いて憧れて習い始めたフルートでしたから、一緒にフルートを吹くことができて感激。彼女は高校卒業後に日本航空のフライトアテンダントになりました。子供の頃に「将来何になりたい?」と聞かれるとスチュワーデスと答えていた私は、その憧れの職業を現実のものとしてしまった彼女にびっくり。私たちが受験勉強に本腰入れようかというような時期に早々日本航空への就職が決まった彼女を羨ましく思ったりもしました。<身長何センチ以上、 容姿端麗 成績も良くなくちゃ>みたいなことが要件のスチュワーデスに合格した彼女のところには下級生が話を聞きに訪ねてきたりしていました。

卒業後にその彼女とは年賀状の交換だけになっておりましたが、「スタジオを始めました。」と年賀状に書き添えたことで、関心を持ってくださってフルート持ってスタジオに遊びにきて何年ぶりかの再会。その後、月に一度フルート持って遊びに来てくださるようになりました。地元のフルートのお仲間がスタジオに来られたときに彼女も加わって<君をのせて>をアンサンブルで吹いているときに、夕陽を浴びた校舎で(高校三年生の歌詞みたいですが)フルート吹いていた彼女がありありと思い出されて、その彼女と何十年後かにこんな風にアンサンブルをする日がくるなんて‥と思ったら涙が溢れてきてしまいました。

その彼女は世田谷から町田に越されて遠くなりましたし、お仕事も始められて、フルート持ってスタジオに遊びに来るのは年に一度になってしまいました。年に一度でも、私がフルートを始めるきっかけになった彼女と(こちらのフルート友達二人と四人で)合わせることができることを幸せなことに思います。スタジオを始めなかったら彼女とも年賀状の交換のままだったか、もしかしたらそれも途絶えてしまっていたかもしれないと思います。
2016.09.05 13:42 | 固定リンク | つぶやき
音大出? いえ違います。
2016.08.28
スタジオを始めたばかりの頃、初めてご利用の方たちが下見にスタジオに来られるようなときに、「音大出ですか?」と聞かれることがありました。「音楽が好きでスタジオを始めるぐらいなのだから音大出なのかしら。」と思われるのでしょうし、「もしかしたら(ご自分の)同窓生かもしれない。」という思いもあってのお尋ねのように思います。私は音大出ではありません。

15年ほど前に室内楽でご利用の方たちがスタジオに来られたとき、その中のお一人から「◯女子大でしょう?」といきなり尋ねられてびっくり。今となっては30年ぐらい前の話になるのですが、北浦和にその女子大の体育の先生がお住まいということで、当時地元のテニスのお仲間だった先輩に連れられてその先生のお宅を訪ねたことがありました。その場においでだった7.8人ぐらいの先輩方は読書会などもなさっているような繋がりのあるお知り合いで、私だけが新参者のようなことでしたが、スタジオに来られたM先輩はそのときのことを覚えていてくださったのでした。

その頃、ちょうど地元に女子大の同窓会に埼玉支部が発足し、その支部のイベントの一環としてクリスマスチャリテイコンサートを開催するということで、M先輩のご紹介でプラネットをご利用くださることになりました。それから毎年続いて今年で13回目になります。昨年のコンサートの後に諸般の事情から「他の会場に移っては。」というご提案をさせていただきました。一番の問題は、3階まで階段ということで、年齢ばかりでなく自分も股関節症になってみると3階までの階段はきついです。万が一転ばれて骨折でもなさるようなことでもあったらと、最終回の今年は保険をかけることになりました。お子さんの発表会をなさる会でも保険をかけてなさる方がおいでです。スタジオには公営のホールのようなロビーもありませんし、発表会を聴きにこられたお子さんたち(出演者の弟さんや妹さんたち)が万が一にも外に出て階段などで遊んで怪我でもされたらというようなご懸念もあるようです。

昨日、スタジオで今年のチャリテイコンサートの打ち合わせがありました。例年、演奏家の方々の会場下見も兼ねての打ち合わせをスタジオでするようになり、はじめのうちは会場をお貸しする側として同席しておりましたが、昨年から私もそのスタッフに加わらせていただくようになりました。今年でその演奏会も最後ということで開催後に何か感想を同窓会のブログに一言書くようにと仰せつかりました。「さて何を書こう?」と今から考えてみているところです。

仙台から東京に出てきて気後れで固まったままような状態で女子大を卒業した私は、同窓会行事とは縁が薄く、埼玉支部が発足しても参加するようなこともありませんでした。クリスマスチャリテイコンサートをきっかけに新年会などにも参加するようになったのでした。チャリテイコンサートのきっかけを作ってくださったM先輩は数年前に若くしてお亡くなりになってしまいました。M先輩がスタジオでの演奏会の企画を持ち込んでくださらなかったら、私は今でも同窓会とは馴染みがないままだったと思います。同窓会埼玉支部の地元の行事では楽しい企画もたくさんあって、今年は大宮の鉄道博物館に行く<ミニ遠足>があり参加。横浜、新橋間を初めて走った蒸気機関車の展示があったり、新幹線までの鉄道の歴史を振り返ったり。豪華な御料列車の展示などなど。東京の下宿から仙台の実家に帰るような時にのった特急ひばりの車両があったり、すごく楽しかったです。同窓生の皆様と楽しく時間を過ごした後には、いつも「これも亡くなられたM先輩のおかげ。スタジオが縁で支部のお仲間入りができて良かった〜」と思います。さて、以上のことをコンパクトに演奏会後に同窓会のブログに感想としてまとめられるかしら‥。

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