越生まで乗馬に通っています
2016.08.23
台風9号、県内でも所沢始め各地で川が氾濫したり大変だったようですが、浦和のこのあたりは激しい雨は降ったものの特に被害はなかったようです。浦和に転勤などでこられたような人たちと「山が見えないと寂しいわよね。」と話したり、私は仙台生まれの仙台育ちなので<青葉城恋唄>の歌詞にもなっている広瀬川があって郊外に出るにはあちらこちらの橋を渡るようなことでしたから、山も川も身近にはない浦和は日頃は寂しく思うのですが、台風の時期などには土砂災害もないしありがたいと思います。

二年前から越生の乗馬クラブに通っています。股関節症になってしまったのでできるスポーツも限られてしまいます。何年か前に乗馬をしている友達に「私も乗馬をしてみたい。」と話したときには「お気の毒だけれど、今のあなたには無理だと思う。馬に乗るだけじゃなくて、馬房から馬を引いて馬場にでたり、馬の手入れをしたりしなくちゃならないのよ。」と言われて断念したことがありました。当時は杖をつかっているような状況でしたから、それでは馬を引っ張って歩けませんものね。

体験乗馬に行ったとき「越生までは遠すぎて通うのは無理そう。体験だけでお終い。」と思ったのでしたが、高台にあって周囲の緑を見下ろすようなロケーションにも癒されましたし、ホースヒーリングというのもあるようなことでお馬さんたちに会えるのも嬉しくて、乗馬は上達しませんが、車窓の景色を楽しみながら電車や車で通っています。それこそ遠くの山並みが見えて、川をいくつも越えていきます。東武東上線の坂戸から越生線というのに乗ってその終点が越生。駅前は昭和にタイムスリップしたような光景です。こんなに自然が豊かに残っているところが首都圏にあるなんて‥と思います。冬には雪の積もり具合も違って「東北地方にきたみたい!」と送迎バスの中で他のかたたちとはしゃいだりしています。

先日、乗馬クラブの先輩に誘っていただいて初めて御殿場に憧れの外乗に出かけました。「森の中を馬に乗って」というのが憧れでしたから、夢の一つが実現して嬉しかったです。馬にまつわる伝統行事を見にでかけたりもしています。越生の近くの毛呂の神社では子供たちの流鏑馬が11月にあって昨年初めて見に行ってきました。今年は盛岡の<ちゃぐちゃぐ馬こ>を見に出かけたりもしました。農耕馬が少なくなって滝沢から盛岡の中心街まで13キロの道のりを4時間かけて歩く長い馬の行列を維持していくのも大変になっているようです。来年は<相馬野馬追い>を見に行きたいな‥と思います。
千歳空港にて/私の足のこと
2016.08.12
北海道旅行から戻ってきょうで一週間。ちょうど一週間前、千歳空港の保安検査の不備による混乱の中に巻き込まれておりました。保安検査がストップしたばかりでなく、一度検査を受けた人たちも保安検査入り口から逆戻りしてくるような異常事態。何が起こったのか私たちには知らされていなくて「保安検査の機械の異常」というようなアナウンスはありましたが、警察官の姿が見えたりして「何があったのだろう?」と話しながら何重にも折り返すような長蛇の列。「再開の見込みはたっておりません。検査再開の際には出発順のご案内になります。」ということで列を離れて椅子に座って待つことにしました。テレビのニュースで台風などで空港に足止めになるような光景を見ることがありますが、自分がその中に巻き込まれたのは初めて。帰宅してから<一人の女性が金属探知機を通らずに中に入ったこと>をニュースを見て知ったようなことでした。11便も欠航になったそうなので、2時間半ぐらい遅れましたが予定の日に帰ってこられて良かったと思いました。

話変わります。私の足の状態が悪く2010年から一度新規の方のご利用をお受けできずにおりました。足の不具合というのは変形性股関節症というので、赤ちゃんの時に股関節脱臼だったのを装具で治したそうなのですが、そんなことはすっかり忘れてスキーやテニス、フラメンコまで踊っていたようなことでした。股関節症と診断されてからもすぐに具合が悪くなったわけではなかったのですが、グラデーションのように悪化してきました。股関節症というと人工関節への手術が主流ですが私は時間がかかっても手術を回避してリハビリで治す方を選択しております。お世話になっている整形外科の理学療法士さんから「自分の足とスタジオとどちらが大事なの?」と言われたりしたこともあって、一度は貸しスタジオそのものを終了しようと思いました。

調律師さんにそのことを話したら「調律をつけてくださる方々については貸し出しを自分が代行してもよいですよ。」とのこと。調律付きのみということになりますとギター始め、ピアノを使わない方へのご利用は受けかねることになります。でも立っているのでさえも痛みがあるような状態で3階まで何度も往復したりお掃除したりの貸し出しは自分にはとても無理と思われたのでした。その頃、宮崎に行く機会があったのですが広い羽田空港を杖をついていてさえも歩くことができなくて車椅子で、宮崎空港でも車椅子の出迎えをお願いしたことがありました。羽田空港に行く機会があるとその時のことを思い出します。そんなわけで私自身は一度貸し出し現場を引退したのでしたが、スタジオを細々とでも続けてこられたのは調律師さんのお申し出のおかげだったと有り難く思っております。

おかげさまで今ほとんど痛みは解消しており、無理がない範囲で近場でしたら杖なしで動けるようになっております。スタジオを40代で始めたのでしたが60代半ばとなり、世間では定年を迎えるぐらいの年齢になりました。当初からのご利用者も高齢化してきて3階までの階段は大変になり、東口にできたパルコの上のコミニュテイセンターに移られたりなさるグループもあります。でもプラネットをご利用くださる方がおいでになる間は、もうしばらく続けてまいろうと思います。せっかく良くなってきた足の状態を維持できるように様子見ながらですが、「80歳ぐらいになっても矍鑠(かくしゃく)としてスタジオを続けていられたらいいなぁ。」と思っております。
ギターを習うようになった流れ
2016.07.29
スタジオご利用者の方からギターとの二重奏で(私の)フルートとの共演のお誘いをいただいたことがありました。<イベールの間奏曲>をスタジオで演奏する予定だったのに、フルートの方が転勤で遠方に行かれてしまったのだそう。クリスマスの時期の演奏会で共演させていただいたのが楽しくて、それを機にギターとの二重奏を結成して8年ぐらい続いたのでした。スタジオに主人が若い頃に習おうとして買ったけれど使わなくなったギターが長らくおいてあって、相方はスタジオではそのギターで合わせの練習をして本番近くなると御自分のギターを持って仕上げの練習をしていました。ギターとの二重奏が解散になる頃に「力木の剥がれがあるかもしれないから一度診てもらったほうが良い。」と言い置いていきました。

プラネットをご利用になるのに下見に来られたギタリストのI氏にその話をしたら、地元のギター作家のN氏のところに持っていってくださいました。スタジオの響きを確かめにご自分のギターを持って来られていたので帰りにはギターを二台両手に提げて行ってくださいました。せっかくギターが直ってきても使うあてもないし、ギターの音色が聴けなくなって寂しくなっていたこともあって「では習ってみようかしら?」と、ご親切に修理に持って行ってくださったI氏の元で習うことにしました。

楽譜が読めるのだから、もう少しなんとかなるだろうと思ってギターを始めてみたのでしたが、自分の考えの甘さにすぐに気がつきました。「ギターって消音しなくちゃならないんだ〜」ということがそもそも驚きでした。フルートは指の押さえを変えれば次の音に切り替わりますから、前の音の響きが残るなんていうことはあり得ません。右手と左手が違う作業をするということ、つまり左手は押さえて右手で音をだすということもピアノもフルートも両手は同じ作業をしているわけですから「ふ〜む。」です。それに音がでるタイミングは右手で決まるので左手はリズムとは関係ない<水面下の動き>みたいなことをしなくちゃならないのもなんだか私には馴染めませんでした。

ギターのレッスンに通いながら、いつも情けなくて、自他共に厳しいI氏のレッスンに数年通ってはみたのですが落ちこぼれてしまいました。せっかく習い始めたギターをやめてしまうのも惜しい気がして、半年後ぐらいに新たな先生を探して習うことにいたしました。そのお教室の発表会にスタジオを提供する代わりにフルートとギターの二重奏を何か一曲おつきあいいただくことにしていただいています。ギターパートが綺麗なニューシネマパラダイスとかピアソラのタンゴの歴史など。プロのギタリストと合わせていただけるのですからすごくラッキー。フルーテイストとの共演も多いO氏はフルート曲についても私などよりよほど詳しいのです。ギターというより音楽全般を教えていただいている感じです。こういうことでも「スタジオを主宰している恩恵を多分に受けている。」と思います。
2016.07.29 16:55 | 固定リンク | つぶやき

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